今日も在宅勤務でした。
どうも、在宅勤務のときのほうが、なかなか暇がなく、
記事が書けないのはどうして?
ところで、家で仕事をしていると、
私の居場所が無いので、
部屋のあちこちを移動するのですが、
やっぱり、ちょっとイラっとするときがあります。
なんか、邪険にされているようで。
ダイニングで仕事してると、
カミさんは、露骨に嫌な顔するし。
俺が何したって言うんだ!
って思いますよ。
意識の上では、許せるわけがありません。
ここでは、私は、悲劇の主人公です。
もう、悲劇の主人公になりきっているから、
我に返るのは難しいですね、ほんと。
そんな中で、神を思い出そうとしているわけですが、
このドラマで起こった楽しい事をトリガーにするのは、
私には難しいです。
楽しい事で感じた喜びから、神を感じるという方法ですね。
なぜかというと、
楽しい事で感じた喜びが神ならば、
辛いことで感じた恐怖も神なのでは・・・
と思っちゃうから、かなぁ?
また、楽しい事で喜びを感じても、
何か空虚さをいつも感じているので、
本当に喜んでいるわけではないのですよ。
だから出来事をトリガーにするのはイヤで、
心を見つめ、
そこで感じる、ジワジワと来る、
静かな安心感みたいな感覚が、好きです。
それを感じ続けてきたので、
神への信頼が増してきたように思います。
そして、それに慣れてくると、
だんだん、そのジワジワが、
この世界を見ている時でも、時々感じられるようになってきました。
それは、ほんとは「見てる」わけじゃないのでしょうけどね。
さっきの、許せない!って出来事は、それはそれで良しとして。
このジワジワを、できるだけ見ていたいなと思います。
今日の奇跡講座、教師のマニュアルから。
9.忠誠心
忠誠心とは
「神の言葉」が
全ての事柄を、
一部ではなく全ての事柄を、
正してくれると信頼することです。
10.開かれたマインド
開かれたマインドは、
価値判断の欠如と共にやってきます。
真の学びを
この世界にもたらすことが「神」の教師の機能です。
適切な言い方をすれば、
彼らがもたらすのは
学んだことを忘れることです。
この世界での、楽しい事、辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、
正しいこと、間違っていること、
全ては必要なく。
私が信じてきた、これらのことを忘れること。