職場において、

主張する人、淡々と業務を行ってる人

に分かれることがあります。


そういうとき、管理者によっては、

自分に問題点をつきつけたり、

あーだこーだ、と言ってくる主張してくる人に目を向けて、その主張する人の意見の中で『みんなが言ってる』といったように、さも職場の代表みたいに言われるとその人意見だけを聞いてしまうといったこともあると思います。


しかし実は、そういった主張する人は

『そう思うよね!』と周りに聞いて、

面倒だから『うん』と言う同僚や怖がって『うん』と言う後輩が1人でもいると『みんな』という表現を使う場合もあるのです。


それで主張する人の意見が通ったとしても、淡々と仕事を進める人は変わらず進めるだろうし、自分の意見が通った主張する人は、『私がこの部署の問題解決をした』と良い気分になり、さらに問題点を見つけて、主張を繰り返します。


そこで冷静になってほしいのが、

さも正当化された主張は、本当にその部署全体にとってよいことだったのでしょうか?


淡々と仕事を行う人は受け入れ能力が高い傾向にあるので、その主張によって負担(業務負担だけでなく心理的負担)が増えても業務を淡々と行うので、管理者は一見気がつきません。

一見、上手くまわっているように見えるのです。


しかし、なにも言わずに淡々と仕事をする人がなんの前触れもなく退職を申し出ることがあります。


実は主張している人の主張に振り回され、仕事量が多いときは仕事を沢山任されるのに、閑散期には、主張する人が『淡々と仕事してきる人はA業務をやってもらうなど仕事を交換してった方がいいと思います。みんながその方が仕事できるようになると思います。』等と言って(上手い例が思いつきませんでした)、閑散期で仕事量が丁度よくなった業務を奪われ、繁忙期に丁度いいくらいの仕事量で閑散期になると暇すぎるA業務を押し付けられます。すると、そもそも繁忙期に大量の仕事をこなしていた淡々と仕事する人にとって、A業務は暇すぎて、職場で仕事も存在価値を奪われた感覚に陥る人もいるわけです。

上司が主張する人ばかりに気を取られ、淡々と仕事する人のことを見えておらず、評価していない場合には、さらに虚しさが増します。


それで、あんなに不満も言わずに仕事してたのに急に退職した。

といったように、見えない不満に気がつかないまま手を打てなかったということが起こるのです。


だから、管理者の方々には、

主張する人ばかり観るのではなく、ひとりひとりに意識を向けてもらった方が、社員の見えない不満も見えてくるし、


なにやりも、


見てもらえてる。


という謎の気持ちが職場での安心感に繋がることも多いのです。

できるだけ、ひとりひとりの評点できる点を管理者が観てくれるだけで、職場の不満が減ったりするというお話でした。