人間は危険シグナルがなったとき、
逃走か闘争か
という選択肢を無意識的に取るよう誘導されます。
それは、行動レベルでなく、心理レベルでも起きています。
無意識的にだから気がつきにくいけど
例えば、相手になにか指摘したときに、
反応して言い返す人
という表現でピンと来る人が浮かびませんか?
闘争反応。
私は、孤独恐怖症だし、
私は見捨てられるという傷のようなものがあるので、どうにかならないかと、
不安になったら思考を変化させたり、
身体を動かして、気持ちを紛らわしてみたり、
そういう逃避をして、孤独の恐怖を感じないようにしてきました。
そして、それは、そのどん底の自分にとっては正解だった行動でした。
今日、久々に、孤独恐怖が湧いてきて、
ここ数年色々と知識も行動も思考法も学びやっと私に受け入れ体制ができたので、
孤独を味わって感じてみました。
思考を入れず、ただ感じました。
私の場合には、みぞおちに孤独がとくに溜まります。
それを感じ、感じ、感じ、
孤独が自分にある
ということを受け入れました。
思い出したのは、
小さい頃、昼寝から起きたら夕暮れで暗くなりつつ家の中に母親がいなくて泣いていた私でした。
結果としては、母親は、ただ洗濯物を取り込みに庭に行っていただけですが、非常にそのときに恐怖と不安を小さな私は感じたようです。
これが、起因なのか、もっと深い場所に起因があるのか現時点では分かりませんが。
現実を構成してる玉ねぎの皮のような観念がまた一皮剥けたのかなと思います。
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