私たちが見ている世界は、
それぞれの内側の現れに過ぎません。
私内側が現実となり、体験・体感をしています。
私の内側を、私が体感している。
だから、現実になにかが起きたとき、
現実の出来事への対処だけでなく、
その出来事を引き起こした自分の内側への対処が大事になってくるわけです。
というのも、
法華経の本を読んで思い出したのですが、
私が現実創造理論を知り始めたときに学んだことと同じことを言っていて面白かったのですが、
この世界は、全てである(創造主である)ワタシがワタシを知るために私の位置からワタシを知るための世界。
ワタシがワタシを知りたいという、遊び。
だから、現実は私の状態を私に教えてくれているだけ。
私は、その原理原則を体感しながら、現実を創造しているのは私であり、私は全てを創造したワタシであることを思い出していく、というゲーム。
だから、現実創造ゲームを遊ぶ段階の人々は、
意識を外側ではなく、内側に向けていくようになるのです
私が創造したことなのだから、
そんな重くならなくてヨシということです