実家から3軒隣に訪問看護ステーションがあり、

友人がそこで働いている。

看護師の端くれである私も面接に行かせてもらうことになっていた。

しかし母の癌が発覚した為、面接の代わりに相談させてもらうことになった。

その訪問看護ステーションの所長さんは、癌専門ナースさんだったからだ。

母の現在までの状況をお話しした。

これから起こりうるであろう症状が出た時の話や、緩和ケア病棟についてや、在宅介護についてなど教えていただいた。

出来るだけ最後まで母らしく、友だちと会ったり、

ひ孫と会ったり、私たちと食事に行ったり

普通の日常を過ごさせてあげたいことを伝えた。

まだ今まで通り食事も作り、自分のことは自分で出来ている母であったが、紹介で早めに訪問診療と訪問看護を頼むこととなった。

私が子ども2人を連れてシングルになってから、

働きながら看護学校に5年通い、看護師になっては、三交替の総合病院で働き、その間ずっと子どもたちの面倒を見てくれたこと。

なので母の老後はどんなことでも精一杯してあげたいと心に決めていたことも話した。

こんな私的なことを丁寧に聞いて下さった。


母が告知されてからの状況を聞かれ、精神的にはどんな状態かと聞かれた。

それが癌についてネガティブな発言は一切なく、他人事かのように過ごしてることを話した。

色々苦労してきた母で、最近は悟りをひらいてるなぁと感じていたが、この母の精神力にはあっぱれと関心していた。

お母さん娘さんに気を遣われてるのかな?

と言われたが、母は私にはなんでも話す人なんで

気を遣ってることはないと思います。と言ったが、

そんなことはないだろうとゆう表情をされた。

無理もないことだ。


怖かったが、所長さんの経験上どんな経過を辿りそうか聞いてみた。

この3ヶ月でバタバタと状況が色々変わってくると言われた。

私は母の余命についてははっきりは聞いていなかったが、兄が半年位やってとわざわざ言ってくれた。

半年と思っているので、3ヶ月で目まぐるしく変わると言われたことに驚いた。

こんなに元気に過ごしているのに、3ヶ月で変わるんですか?信じられません。そう言うと涙が止まらず、嗚咽をあげて泣いてしまった。


自宅で自然な形でお母さんを過ごさせてあげたいなら、私が仕事をしながらとゆうのは無理だとアドバイスをいただいた。

癌の末期の人を介護するのは大変なんで、休むか辞めるかされた方がとアドバイスをいただいた。

私は働いている病院に不満が沢山あり、辞めたいと思ってここに面接にくることになっていたので、余り迷うことなく、退職する決断に至った。

胸に重いものを感じた結果になったが、いよいよ母に

お返ししないとと強く心に誓った。

自分の思いも整理でき、貴重な時間をいただいた。


泣きじゃくった顔で母のところに帰るわけにいかなかったので、少し休ませてもらってから、母の待つ実家に戻った。