さてさて。
そんな朦朧とした中迎えた
翌朝。から始まるベッド上安静。

いや、正確には手術当日から始まる
ベッド上安静。太字で書いちゃいます、これ。


31年間生きてきて、
初めて味わった地獄でした。


元々この『三日間安静』が怖くて怖くて
たまらなかった私です。


なんでそんなに怖いかって、
腰痛持ちなんです、私…。

子供が三人ピッタリくっついて寝るためか
寝返りを打てない日々で、
朝起きるとバッキバキ。
なんてのはいい方で、
痛すぎて目が覚めて、起き上がることすら
できない時も…

仲良くしてくださってる整骨院の先生には、
『ひなさんの背中の筋肉という
天然のコルセットを作り上げるしかないですよ』
と言われつつもがっつり筋トレは
できなかった私です…。


本当に怖くてそれが怖すぎて
再建をやめようかと二の足を踏んでいたくらいで
ガン友さんコミュニティで皆さんに
どうしたらいいか?を質問したりして
時は流れていきました。

結果、皆さんから言われたのは
『天使のナースさんが甲斐甲斐しくお世話してくれるから全て任せて』
『クッションがあると、腰にはさんでもらうとだいぶ違うよ!』
などなど。。

クッションはコロナの関係で、
持ち込めなかったので
だいぶハラハラしましたが
病院にも専用のクッションが
あるからとの事で買わずに入院を迎えたわけですが…


このベッド上安静、本当に地獄!!!!

腰痛がってわけではありませんでした。
これは、術後3日目を終えようとしている
(手術当日が0日目として)
今気付いたことと言えば…

腸などが飛び出すヘルニアを防ぐために
きつくきつく腹帯を締めているのですが、
それのおかげかな?
腰痛はほとんど感じませんでした。


しかし…
本当に身動きひとつとれないで
ずーっとずーっとベッド上安静って
こんなにも辛いことなんだと
時間が過ぎるのをスマホで確認する手も痛く
見れない状況の中で
指折り数えるのが本当に辛かったです。


術後1日目が本当にゴールが見えなくて、
辛かった…
ずっと同じ姿勢だからか、
全然お腹もすかないので入っていかないし
(何より腕もあがらない…
右腕は健康なのに…
手首にささってる点滴のせいで
手首を曲げられないし…)

ベッド上安静期間は
(お食事中の方いらしたらゴメンナサイ)
便意が来てもベッドの上でというし、
テイザンサジョウサイという
(漢字忘れた…)
排便に繋がりにくい繊維の
少ない食事だったのですが

それでもやっぱり絶対出したくないという気持ちが強くて食べられないのもあり、


ドクター曰く胃にモノが入ってないから
吐き気がするんだとのことでしたが、
吐き気がすごくて、
動けないのにムカムカするし、

お腹をかっさばいてるからか
息が非常にしづらくて酸素を鼻から
ずっと入れてもらってましたが
一瞬でもとられると息苦しく、
ついていても呼吸が整わない…

看護師さんが話しかけてくれるけど
声が声にならない(息がしづらいから)

いつも胸かお腹がじんわり痛い
(これは耐えられるレベル)

早く寝たいけど寝てばっかりいると
夜眠れないよと言われるしその通りだし
一日過ぎるのが
ものすごーーーーーーく
ゆっくりでした。。。

『あれから何時間経った…?』
ってぼんやり意識の中で見るも
一時間も経ってないことばかりの繰り返し…

途中泣きそうになりながら
もどかしいこの思いをぶつける先はないのに

『再建なんてやめたら良かった。』
『胸が片方ないだけで元気に過ごせてたのに、なぜ自ら自らを痛め付ける道を選んだの?』
『時が戻せるなら再建やめますって絶対いう!!』
などど
ここまで来てしまったら思っても
仕方のないことばかり頭の中で
ぐるぐるぐるぐるループしていました。

本当に軽く泣いてました。
泣いたって何も変わらないって自分に
言い聞かせて泣くのをやめました。


本当にただ、
ただ、ただ、、、、
辛い一日でした。

少しでも温かく細やかに世話してくださる
看護師さんに担当が(夜勤と日勤の)
変わりますようにと祈っていました。

ちなみに、このベッド上安静は
HCUと呼ばれる高度治療室?にて行われました。
幸いこちらも個室で、テレビをつけても
夜遅くまで起きていても
他の方に迷惑をかけなくて良かったです🙆‍♂️
(こちらは希望したわけでなく、
ランダム?のようです。。)

(結果ほとんどの方がとっても優しく、
天使のナースとはよく言ったもんだと思うほど
救われました。。。
世の中の看護師さん、
本当にいつもお仕事お疲れ様です。
ご自身も大変なのにいつも笑顔で温かく
接してくださりありがとうございます。。)