職場のとある人のブログを見つけてしまって、そこには仕事中には決して語られないその人の本音が詰まっていた。

特に子供たちとの関係がたくさん書かれていた。


子供達との幸せな思い出、可愛いと思える瞬間、キュンとする瞬間など。


振り返ってみると私はどうだったか?

この休職期間、子供と幸せな時間を過ごせてる?


答えはYES


ただし、大切なことを忘れている。それを記録していない!!!


困った。これだと忘れる。

今までもそうだった。まだまだ覚えてられると思うことも、すぐ忘れてしまっている。



記録方法を考えないと、、


まずは、私のMBA体験記なども本当は残したい。

どうやって残すか、、、


漫画に描きたいけど、どんなアプリが良い?


休職中とはいえやることはたくさん、毎日忙しい。


2021年、私は新卒から勤めた会社を退職した。ザ・JTCで、年功序列で、何を評価されているかモヤモヤはぬぐえず、せっかくとったMBAも見てもらえずマミートラックに配置され絶望した。

 

新卒から2021年まで

確かに楽だった。「一生懸命働いているふり」「仕事のできる見た目」があればどんどん人脈と政治力で突き進んでいけただろう。

出産後、育休明けで2児を抱えた私が配属された部署は、承認作業がメインの仕事だった。超絶つまらなかった。

承認はいつくるかわからないので時間内は席にいる必要がある。9時から18時半という時間も微妙で、例え在宅であってもその時間にPCから離れられないのはしんどかった。

今思うことは、離れたいときは時間給を申請すればよかっただけなのだ。または有休でもいい。

でもしづらいと思っていた。

なぜしづらかったのか?私は仕事ができる人だと思われたかったから。

評価されたい(昇給したい)と思っていたから。同僚より遅れている焦りと、後輩に追い抜かされる怖さがあった(実際に、ほとんどの後輩にタイトルが追い抜かされていた)

評価を気にしなければ、割り切ってそこで働きつづけたと思う。

でも、仕事は「大した事ない、簡単」だった。

大した仕事をしていないのに、そのために子供を保育園に預け、忙しいフリ?をしていることに罪悪感があった。

もっとやりがいのある仕事なら子供を預けていても満足感があるのに、無駄な時間を過ごしている気がした。

出張もしたかったのに、ひたすらデスクワーク作業。

 

この会社のメリデメをまとめると

〇「どの会社で働いているか」が明確で、人に説明しやすい

◎ 子供が喜ぶ業界

△ 何の仕事をしているかが転職市場で見えにくい

〇 福利厚生

△ 年功序列のレールから外れたときが辛い、自信を失う ←これが一番だったかも

〇 部署移動は政治力・人事・上司に左右される

△ ボラティリティが高く、ボーナス増減が大きい。全社員で上がるか下がるかの世界。

 

自分の市場価値を上げたい、そう思って転職することにした。

次は、MBAを評価してくれた外資系。

これはかなり私の価値観を変えることになる。

 

2社目 外資系メーカー

ほぼ裁量労働制のポジションだった。管理職じゃなかったけど、勤務時間が自由自在だった。

入社して早い段階はまだその感覚が解らず、仕事を早上がりしたい日にそれを上司に伝えたら、「会社はフレックス制度があります。わざわざ報告不要ですよ」と言われる始末。

仕事は自分で探しに行くスタイル。しなければしないで日々は過ぎていく(評価は怖いが)。それでも自分でコントロールできるというのはやりがいがあったし、楽しかった。勤怠管理をされていないというのは精神的にもかなり楽である。

その勢いでフルタイムの共働きで保育園児期間もさらっと乗り越え(ただし夫婦喧嘩はすごかった)、小1の壁をするっと抜け(むしろ、送迎が無くなって楽!!)、子供の習い事も増やせてとても充実した。来年には下の子も小学生になる。保育園への送迎が無くなることが楽しみでしょうがない。

同僚も地方に住んでいたり、海外出身の同僚は軽く数週間~1か月くらい帰省したりする。フレックスとリモート環境かつこの給料はなかなかない、と言う。

 

△「どの会社で働いているか」が、わかる人にしかわからない

△ 仕事内容を子供に説明できない(特殊過ぎて)

◎ 転職市場で評価される。職種だけ見るとかなりのポーダブルスキル!!

〇 やりたいと思ったら上司に手間をかけずに社内公募でチャレンジ可能(ただし、本当にやりたい仕事か?は要注意)

◎ 女性の出世者が多い、外国人が多い、英語の会議が多くて自分の言語力ブラッシュアップになる

〇△ 裁量労働制の良し悪し。自分の働きたいときにすればいいが終わらないと深夜まですることになる、業界特有の込み入った内容を理解していけば仕事の効率はあがるが、またアンポータブルスキル。仕事が無くて楽なときは変な焦りが出て無駄にPCの前にいてしまうし、途中抜けしているとチームメンバーにどう思われるかの罪悪感で重たいPCを持ち歩いてしまう。(結局、罪悪感はあるのだ!)

さらに外資あるあるで自分の部署の仕事がいつ無くなるか不安になる。出世したい、マネージャーになりたいと思うと政治力が結局必要になる。かといってオペレーション(しかもアンポーダブルスキル)のスペシャリストになるには、まだ若すぎる気がした。(あと10年歳を取っていたら、おいしいポジションだと思う)

チームメンバーのいない個人商店な仕事に異動すると、やることがないという焦りは無くなったが、代わりに忙しさとプレッシャーがすごかった。細かいチェックが求められ、それを見落とすたびにできない自分に落ち込んだ。夜中も働いた。グローバル担当とのやり取りは面白いこともあれど、やはり日本の需要を伝えるのは難しかった。グローバル担当に言われたことを日本チームに伝えるときは毎回気に病んだ。結局外資とはいえここは日本、日本人と仕事をするためのスキルは「お客様は神様」だった。

◎ 業績最高、ボーナス150%
 

3社目?同じところに復帰?

さて、現在休職中の私。同じところに復帰するべきか、職場を変えるべきか、はたまた職種を変えるべきか。

職場としては働き方の柔軟性が抜群。リモートワーク可能で色々ゆるい。なんだかんだ雇用は守られていると感じる。

もし50歳を過ぎていたらこの職場に骨をうずめたかもしれない。(何度でも言うw)

役職定年のない、永遠に数%昇給し続けるスタイルの会社なのだ。65歳まで。

問題は職種をどうするかだ。この職種で続けるとなるとハードワーカー。その分、転職市場価値もあるのだが。

目下の年収を上げるなら社内昇格を待つより転職の方が早いというのは薄々感じていた。

または、この年収のままオペレーション部へ異動して余生を生きるか。

 

本当にリモート必要?というのが最近思うこと。

会社に行く方が楽、気分転換になるというのはある。それに、生活リズムも作れる。

会社に行った方が仕事の効率が上がるという点には懐疑的だが、人脈・政治力において優勢になるのは間違いないと思う。

外資にいて痛感したのは、日本でも外資でも人脈と政治と運で全ての人事が決まっているということ。

外資においては、あとは英語力(外国人の味方をつけて自分の立場を優勢にするコミュニケーション力)。

 

 

同じ出社でも行って帰っての時間が決められていると、それが自分の私生活スタイルと合わなかったときにきつい。

でも自分の裁量で出社時間や日数を選べるのであれば、むしろ家にずっといるより効率的だと思う。

 

どうやるか、悩ましい。

 

人生で初めて心療内科に行った。

 

その日、やろうと思えば仕事をできる体調ではあったと記憶しているが、とにかくやる気がでなく、午前中にパソコンを開け上司に有休をとらせてほしいメールを打った。その日は月曜日で、実はその前週末のうちから休もうという気持ちは芽生えていた。前週の金曜にとても仕事上で疲れる一件があり、週末の間に消化しきれなかったため、月曜の朝起きた時点では「私今日は仕事休みます」モードになっていた。

 

今年に入ってから私はとてもとても忙しかった。問題が10あるとすれば9まで解決できたと感じたタイミングが6月だった。約半年、無我夢中だった。問題を解決できたので、1か月くらい休んでもいいだろうという気持ちになっていた。

 

「家族に心配されるほど疲れているので、次の仕事の繁忙期(約3週間後)まで少し休ませてほしい」と上司と隣チームのマネージャーにメールを打って、有休消化で良いと添えてパソコンを閉じて寝た。

午後に返信を見たら、上司は心配するそぶりをしつつも人事に連絡を入れると言っていた。

 

人事に連絡?単なる有休じゃなく病気休職と思われてしまうんじゃ?

事なく終わらせようと思っていたのに、休職になるなんて話が違う。私は元気だ。

 

迷ったが、会社には傷病休暇として有休と別に使える休暇が年間30日与えられていることも薄々知っていた。

医師の診断書があれば傷病休暇から使えるらしい。使い切ってから有休消化となる。

更に、有休を使いきって欠勤になっても給料が数か月保証されるという福利厚生があり、

私の勤務年次だと5か月は仕事していなくても満額給料が出ることが調べているうちにわかった。

給料が出なくなったらその翌月より傷病手当金として給与の2/3が保証される。

 

打算的だが、しばらく働かずともお金に困らないならという思いが頭をよぎり、試しに午後に心療内科に行ってみることにした。当日予約が取れた。

とてもビジネスライクなメンタルクリニックで、5分ほど診察をうけたらすぐ診断書が出た。

そのクリニックでは、医師は薬の処方の要否や診断書や証明書を書く人で、カウンセリングは心理士との別時間の予約(10割自己負担)が必要と言われた。医師も相槌適当だしやっつけ仕事感が半端なく、私の方が「結論ファーストで言わなきゃ」と気を遣ってしまった。10割負担したくなかったので心理士との予約はせず、5分診療後に診断書だけ医師にお願いして、その日のうちに会社に診断書のPDFを送った。

 

そうこうしている中で私は最大5か月の満額給料の権利を持ちつつのお休みを得ることに成功した。

 

その1週間後、色々と思うことがあり人事との面談時間を別途もらい、ざっくりと働き方について相談した。

人事から聞いた話では、病欠者に対する福利厚生がもっと手厚い会社もあり、そこでは診断書が出ると1年くらい給料が出るケースもあることがわかった。

 

なんだ、私なんて序の口だ。

同時に、次に転職するならまたそういう制度の手厚い会社にしよう、と思った。

 

今、5か月のうち3か月を終えたところでこのブログを書いている。

まだ戻りたいという気持ちになれない。

5か月を終えたあと、私はさらに傷病手当金を申請するかもしれない。

 

これも知らなかったのだが、育児休業給付金と違って、傷病手当金は月額の給付上限がないらしい。そして期間は最大1年半。

なんてこった!育休中よりはるかに追い給付がもらえそうだぞ。(産休前よりも私の年収はかなり上がったので)

それにしても、女性よりも男性に対する補償が手厚い世の中だなぁと改めて感じる。

 

さて私はこの後どうすべきか。

どうしたいかなぁ。

 

ここでキャリアが崩れてしまうなら、3人目でも作る?という気持ちにならなくもない。

下の子は来年小学生になるので、続けて育休とっちゃえばキャリア断裂も目立たない。

 

さてどうしよう。

 

 

アメブロを開いたのがかなり久しぶりだったのでログインIDパスワードを思い出せなかった。

最近はNoteにも書いているのでアメブロにページを持っていたことすら忘れそうだったが、なぜ久しぶりに書こうと思ったか。それは家族のことについて最近よく考えているから。

 

特に地元や両親に対しての考えがここ最近変わってしまった。

 

なぜか?

 

一つは、親が年を取ったから。そして私も。(私はまもなく40)

年齢を重ねて経験を積むと考え方に変化が出てくる。

あんなに嫌いで関わりたくないと思っていた父親のことを、久しぶりに会ってなんだか可愛く儚い存在に見えてしまった。

後期高齢者目前だが、父も年を取った。本当に。

 

二つ目は、私が今仕事を休んでいること。

自分でもまだ受け入れられていないが、適応障害になってしまった。

これまで私は東京での生活にまい進してきた。

育休から復帰後は、2児を抱えての共働きフルタイムワーママとして無我夢中だった。

昇進もしたし、年収も理想としていたところまで上げた。

そしてとても楽しい日々だった。6月までは。

何かがプツンと来てしまって、いったん有休取ろうと思った。しかしそこからのメンタルの転落は早く、仕事に戻ろうと思うたびに憂鬱になってしまう。あっという間に休職3か月がたってしまった。まだ将来への不安もぬぐえない。

しかし時間ができたからこそ親との電話も増え、父親の異変にも気づけた。

仕事のプレッシャーの無い日々を送っていると、今まで忙しくて目をそらしていた問題から目をそらせなくなって、逆に夫婦の在り方にも悩み始めてしまったし、何より親との関係性を何度も自問する羽目になった。

私の悩み癖は根深い。

適応障害についてはまた別記事でも触れたい。

 

3つ目は、子供たちが成長したので実家にワンオペで帰省する苦労が減ってきたこと。

子供たちが2人とも未就学児だったころはとにかく毎日が忙しく、東京のツーオペですら喧嘩が絶えずイライラしていたし、かといってワンオペで実家に子供たちを連れて帰るのも苦痛だった。移動も大変だったけど、何により育児をしない父親(子供からすると祖父)と実家にいると、子供たちに見せてはいけない悪い男性像のような気がして気が休まらなかった。せっかく実家にいても結局私はずっと育児をしていて、母は家事をしていて、親とゆっくり話をする時間も持てず、私は体調を崩し勝ちで喘息が止まらず、私の夜の寝つきも悪かった。

でも子供たちはいつの間にか2人とも成長していた。飛行機でも自分の機嫌を自分でとることができるし、生活の介助が必要ない。帰省中、私は母との時間を思う存分とることができた。

あれ、こんなに実家って快適だったっけ・・・と驚いた。

 

 

3つを合わせると、あんなに憂鬱だと前の記事でも触れていた実家での時間が、とても充実した時間だったということだ。

なんなら、もっと父母の快適な生活のためにまた行きたいし、実家を改造したい、リフォームが必要だったらお金も出せるとさえ思っている。

両親にはできるだけ健康寿命を長く、幸せな時間を過ごしてほしいと思っている。

 

あんなに離婚してほしいと思っていたのに、両親には一緒にいてほしいし、まだ健在でいてほしいと思っている。

 

なぜだろう、多分もっと深堀する必要があるが、特に嫌いでしょうがなかった父親と私の関係に大きな変化が出たことは確実。

 

私の配偶者から指摘される私への不満が、父親に重なるところがあるからかな。

やっぱり私は父の子なのだと思う。父の嫌いな部分が私と凄く重なるから、見ていて辛くて見たくない、となっていたのだろう。でも目を背けられない年齢になってきた。

そして、私は母とは違うのだと改めて感じる。母に似ていたのは弟の方だ。

 

母と娘は全然違うのだ。息子しか母に似ない。

私も、娘に押しつけがましいことをし過ぎてはいけないとあたらめて誓う。

同時に、息子との良い関係性は気づきたいと願う。

 

ともあれ、両親の話だが、やはりまだ仲良く一緒に過ごしてほしいと思っている。

そして両親を東京に呼び寄せて孫との時間を持つより、私が子供を連れて実家に帰りたいという気持ちが今は大きい。

これは私にとって大きな変化だ。