高村光太郎の『道程』。


僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため


青森出身の作曲家がこの詩に曲をつけ、「みちのり」という合唱曲として発表しています。


You Tubeで探しても動画が出てこないので、たぶん青森でしか歌われないローカルな合唱曲なのだと思います。


今、ちょっとこの曲を歌っていて、『道程』について考えていました。


たった7行の短い詩ですが、本当はこの何倍もの長さがあります。


全文を読むと、「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という短い言葉の中にこめられた重さが伝わってきます。


高村光太郎は、自分の歩んできた道について、このように表現しています。


「どこかに通じている大道を僕は歩いてゐるのぢやない」


「道は僕のふみしだいて来た足あとだ」


「何といふ曲りくねり/迷ひまよつた道だらう」


「自堕落に消え滅びかけたあの道」


「絶望に閉ぢ込められかけたあの道」


「幼い苦悩にもみつぶれたあの道」


読んでいて、苦しくなります。


迷い悩んだ長く苦しい年月の果てに、自分が踏みしだいてきた足跡を振り返り「僕の後ろに道はできる」と言った「道」の重さを感じます。


この詩は、最終的に、「歩け」という自然の声に背中を押されて、自分の未来に向けて歩き出そうとします。


「歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ」


その後に、有名な「僕の前に道はない~」が続き、詩が終わります。





学生の頃、「文学の花は不幸の木に咲く」という言葉を習いました。


私が強く感動したり、心に残ったりして、長くそばに置きたいと思うものは、皆、苦しい道を乗り越えて今を生きる人の言葉ばかりです。


どうして、人の心に残るものを作り出すためには「苦しみ」が必要なんだろう…。


苦しみや迷いを経て生まれたものに感動してしまうのは、どうしてなんだろう。


その答えが、『道程』の中にあるような気がします。


苦しんで踏みしだいた一歩は、何も思わず通り過ぎた一歩よりも重く、その足跡がはっきりと残るのではないか。


たった一歩。


たった一本の道。


その「たった」にこめられたその人の人生の重さを感じて、心が動くのではないか。






星野富弘さんの詩に、「雪の道」という作品があります。


のろくても

いいじゃないか

新しい雪の上を

歩くようなもの

ゆっくり歩けば

足跡が

きれいに残る






ジェジュンの道は、高村光太郎の言う「曲りくねり、迷いまよった道」そのもののような気がします。


そして、ゆっくり、ゆっくり、模索しながら歩いてきた道ではないかと思います。


ジェジュンは文学者じゃないから、自分の道を詩や小説では書き表さないし、芸術家じゃないから美術作品として形にしたりしない。


ジェジュンの「道」は、やっぱり、歌になって人の心に伝わっているのだと思います。


言葉を重ねて、自分の歩んできた道を巧みに表現して人を圧倒することはないかもしれません。


でも、ジェジュンの歌う歌の何気ないフレーズに、声に、ジェジュンの作ってきた「道」がちゃんとある。


「文学の花は不幸の木に咲く」という言葉を聞いたとき、「幸せな人は心が満たされているのだから何かを強く人に伝えようとは思わないだろう。苦しいからこそ、自分の中に溢れる思いを外に出したくて、それが表現する力になるんだろう」と納得しました。


苦しみを経験した人にしか咲かせられない花があるなら、ジェジュンの歩んできた道も、「表現」を仕事とするジェジュンにとって無駄なものではなかったのかもしれない。


あの日々があったから、今のジェジュンがあり、悩んで迷った日々があったから今のジェジュンの「表現」がある。


それなら、ジェジュンが過ごしてきたどんな1日も、今日に至る道のりも、すべて愛しいものとして大切にしたい。


そんなふうに思いました。





「今」に続く道程を振り返ってみたとき、自分の後ろに残っているのがどんな「道」なのか。


軽く踏み越えてきた道なのか、それとも、本気で悩み、迷いながら、人生の重さをかけて踏みしだいてきた道なのか。


『道程』を歌うとき、自分の生き方を振り返って、背筋が伸びる思いがします。


ジェジュンが、どんなに苦しい状況の中でも逃げずに正面からすべてを受け止めてここまで来たように、私も、苦しいことから逃げないで一歩一歩踏ん張って生きていきたい…そう思いました。