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詩人の吉野弘さんが亡くなりました…。


吉野弘さんの詩、とても大好きで、特にこちらの詩集は何年も繰り返し読んできました。




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吉野さんの詩の中では、「虹の足」と「生命は」が特に好きです。


「虹の足」は、「幸せの中にいるときはその幸せに気づかないものだ」ということを「虹」を使ってたとえている詩です。


そして、「生命は」は、「生命はお互い、気づかないうちに他者から満たされて生きているものだ」ということを「虻」や「風」を使ってたとえています。


ものごとに対する視線がとても緩やかで、優しい詩が多く、疲れたときによく読みました。


自分一人で生きているような気になるとき、自分ばかりが大変なような気持ちになってしまうとき、吉野さんの詩が「そうじゃないよ」と、そっと教えてくれました。


おそらく、吉野さんの詩の中で一番有名なのは、教科書に載っている「夕焼け」や、結婚式のスピーチでよく使われるという「祝婚歌」じゃないかと思います。


「祝婚歌」の中に、こんな一節があります。


「立派でありたいとか


正しくありたいとかいう


無理な緊張には


色目を使わず


ゆったり ゆたかに


光を浴びているほうがいい


健康で 風に吹かれながら


生きていることのなつかしさに


ふと 胸が熱くなる


そんな日があってもいい


そして


なぜ胸が熱くなるのか


黙っていても


二人にはわかるのであってほしい」


「祝婚歌」は、どの部分を取り出してもどこも胸に沁みる素敵な詩ですが、最後のこの部分は、とくに心に残る美しいフレーズだと思います。


「生きていること」を「なつかしい」とは、なかなか言いません。


「なつかしい」という、過去を静かに慕う言葉を使うことで、今まで生きてきた自分の人生すべてを肯定的に受け入れて、人生のすべての瞬間に感謝するような温かさを感じます。


二人が出会ってから起こったすべての出来事。


嬉しいことばかりじゃないはずだし、苦しいことも泣きたいことも、わかり合えなかったことやすれ違いもきっとあったはずだけれど、すべてを含めて「なつかしく」思う。


二人が出会う前にそれぞれが生きてきた人生があり、二人で過ごしてきた時間があり、すべての延長線上に「今」がある。


そう思うと、過ぎてきたどの瞬間も愛おしくて、「今、生きていること」がどんなにありがたくて幸せなことかを感じられるような気がします。


私は、ジェジュンとファンたちの関係も、こんなふうだといいなと思いました。


お互い、立派でありたいとか正しくありたいとか無理に飾った姿でいるのではなく、ゆったりと、自然な笑顔で笑っていられて。


これまでの時間を思って、生きていることのなつかしさに胸が熱くなって。


なぜ胸が熱くなるのか、黙っていてもわかり合えて。


そんなふうに、これからの時間を緩やかに共有していけたらいいなと思いました。