ワンピース買いました~ハート




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休日は楽な格好をしたいからいつもワンピースなんですけど、こういうナチュラル系のお洋服ってけっこう高くて…。


職場に着ていってるブラウス・スカート・カーディガンの方が何倍安いかわかりません。


すぐ汚れるのがわかってるから、ワンシーズンで着倒して捨てられるよう最初から安いの買うし…。





毎日、雪がもさもさ降ってます。


部屋の窓から見た風景です。




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屋根一面雪で真っ白~。


いたずら書きしてみました星




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昨日読んでいた本がとっても面白くて、夜更かししちゃいました。



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前、「永遠の0」と並んで右傾エンタメと言われていたけれど、全然そんなことないと思います。


この本、「人殺しがしたくて戦闘機に乗ってるんでしょ」とか「いくら職に困っても自衛隊に入りたい人なんかいない」とか、自衛隊批判の言葉が次々出てくるんです。


主人公たちは、こういう一般の人の認識を少しでも変えて自衛隊を理解してもらおうと広報活動をするんですけれど、私は今まで自衛隊がとても身近にあったので、こういうのが一般の認識だと知ってびっくりしました。


三沢基地や陸自駐屯地など青森は身近に自衛隊が存在するし、私の身内にも自衛官がいるので、自衛隊に対して批判的な考えをあまり持ったことがなくて。


知り合いに、自衛官になった人や、自衛官になることを夢見て頑張っている人がたくさんいるので、その人たちはこういう視線の中頑張ってるんだなあ…と改めて感謝の思いが湧きました。


自衛官になった人、なろうとしている人は、「人のために生きたい」「人助けがしたい」と言います。


お父さんやお母さんが自衛官で、親が献身的に人に尽くす姿を見て、親への尊敬から「自分も自衛官になって人のために働きたい」と思う人がいっぱいいます。


「人殺しがしたくて自衛隊に入る」なんてとんでもない。


それぞれの立場から「自衛隊」の存在にいろんな意見があるのはわかるけれど、自衛官も私たちと同じ人間で、夢を持って人のために生きようとしている人たちがたくさんいるんだっていうこと、わかってくれたらいいなあと思いました。





本の最後に、「あの日の松島」という短編が載っています。


あの日…3.11です。


主人公が、航空自衛隊の元パイロットという設定なので、震災当日松島基地にいて震災の現場を見ていた、という内容です。


私もそのとき、松島に住んでいる親戚と全然連絡がとれなくて、たしか1週間くらい、毎日ネットやテレビで避難者名簿を探したり、ネットの災害掲示板に情報を求める書き込みをしたり、宮城の警察に問い合わせたりしていました。


結局、ガソリンが手に入ってから、車で松島まで行って、避難所を回って本人を探しました。


行方不明だった本人はけっこうたくましくて、津波から逃れたあと数日避難所にいたけれど、防寒着も何もなく泥に濡れたまま過ごすのが限界で、自力で青森まで帰ってきました。


無事なのがわかってホッとしたけれど、電波が全然通じなくて安否がわからなかった日々は、毎日が暗くて暗くて…。


私は、せいぜい停電くらいで大きな被害のない地域に住んでいたのですが、震災後の瓦礫撤去などが落ち着いた頃、祖母が八戸の海岸まで連れていってくれました。


一面茶色く枯れた松の木や、積まれたままになっている瓦礫や、曲がったまま修理されていない倉庫やシャッターなど。


海岸から離れた道を指して「ここに船が転がっていたんだ」と教えてくれました。


報道が「震災」をあまり報じなくなってからも、相変わらず傷跡は町のあちこちに残ったままで何も変わっていないこと、復興までには長い長い時間がかかることを教えてくれました。


以前、被災した子供たちを相手に「書道ボランティア」をしている方の講演を聞きに行ったことがあります。


そのときも、同じ話を聞きました。


「何も変わっていない」


ということ。


被災地の子供たちは皆、口をそろえて言うそうです。


「忘れないでね」と。


もう、みんな自分たちのことなんか忘れちゃったんでしょと。


だから、どうか「忘れないでくださいね」とその方は仰っていました。


もちろん、忘れない。


大きな被害を受けたわけでもない私が何かを語ることも僭越で、被災した方にとっては不愉快かもしれないと思うこともあります。


でも、3..11のあの日から、それぞれの人がそれぞれの重さで抱えてきた悲しみや苛立ちや決意を、忘れないし、今も頑張っている人がいることを忘れない。


そんなことを、「あの日の松島」を読みながら改めて思いました。









被災された方、命を落とした方の中にも、ジェジュンを好きだった方きっといるはずだと思います。


私は今まで、ジェジュンのライブになかなか行くことができなくて「今回も行けないよ~(>_<)」とよく泣き言を言っていましたが、ジェジュンファンさんが「行けない人の分もいっぱいジェジュンに愛を叫んでくるね!」「ひなの分もジェジュンに愛を届けてくるよ!」と言ってくださいました。


そのたびに、せっかくの楽しいジェジュンライブ、そんな重いものを背負っていくなんて申し訳ない、私のことなんかいいから自分が思う存分楽しんで…と、申し訳ない気持ちになったりしました。


でも、11月に横浜スタジアムでジェジュンの歌を聴いたとき、自然とこの場所に来られないジェジュンファンさんたちのことが思い浮かびました。


屋根がなくて空が見える会場だったから、空を見上げながらただジェジュンの歌声に耳を澄ませていたのでなおさらそう感じたのかもしれないけれど、この場所に来られない人、震災で亡くなった人、その他いろいろな事情で今のこのジェジュンの歌を聴けない人…そんなたくさんのファンの方に、ジェジュンの歌が届けばいいなあと思いました。


横浜の空の上で、みんな一緒にジェジュンの歌に耳を傾けているような気持ちになりました。


今まで、私に「ひなの分もジェジュンにいっぱい愛を送ってくるよ!」と言ってくださっていた方は、きっとこんな気持ちだったのかなと思ったりもしました。


亡くなった人のことを思うと、今こうして、ジェジュンのソロアルバムを聴けて、ステージで輝くジェジュンの姿を見れることが、ただそれだけで幸せなことだと思います。


ジェジュンのこれからを見ていられるという希望があるのが、何よりありがたいことです。


途中で力づくで途切れてしまった「好き」の思いがあったこと、忘れないし、だからこそ、ジェジュンの歌で幸せになれる時間を大切にしたいです。






※前記事の中で「置かれた場所で咲きない」という本の名前を書きましたが、あの本はジェジュン紹介本ではなかったです。ついうっかり…。すみません泣く