僕は自他ともに認める吝嗇家だ。



特にお金に関しては。



「健康のために運動をしよう」とそんな話題が上がった時も僕はジムに通ったり、何かの運動クラブへ入会するなどお金のかかることは一切したくないのだ。



運動は万歩計をつけて、目標の数値まで近所を散歩できれば十分なのだ。


自宅でできる運動や体操、筋トレ、ストレッチなど節倹してでも成し遂げられるものはある。



長年貯めておいた1円貯金をチビチビ使うのも良く、ポイントを使っているような気分になる。



それはそれで貯金ができるとして良いのだが…。


















そんな自分は本当に吝嗇家なのか…。



ケチ臭さも相まってお金の使い方が下手くそなのではないか…と思ったことはある。



その時ばかりの快楽主義や保身一辺倒のために散財したことがよくあるからだ。





例を挙げるとクレーンゲームがそうである。


「最初は簡単に獲れるであろう」と思っていたものが、一つも獲れないまま1万円近く浪費したことがある。


獲れた時の感動が忘れられず、病みつきになるのだ。



クレーンゲームは二ヶ月我慢して依存症にはならずに済んだが、ギャンブル依存症の入口のようなものを体験した。





またファッションに関しても

「お洒落な着こなしで自分を磨けば、気分も上がり、他人から羨望の眼差しで迎えられる」という

今考えれば、わけのわからないアドバイスで頻繁に洋服を売り買いしていた。


元々ファッションに拘りがなく、今も服が欲しいとも思わないだけに、「無駄な金の使い方をした」と後悔している。






酒もそうである。


酒がないとストレスが溜まることはないが、


上司との付き合いで、月に3回ほど飲まざるを得ないことが多々あった。


頭痛を始めとした体調不良ながら、午前中にバファリンを服薬して調子を整えて、その日の夜に無理して飲みに出ることがよくあったのだ。



上司との関係性は良くなったとしても、

引き換えに体と心を蝕み、お金はなくなるという不利益のほうがデカいことを繰り返していた。











ある日、ボロボロの精神状態で新書を買った。


福澤先生の『学問のすすめ』を15年ぶりに読んだ。


中古本だったのと、クーポンやポイントを駆使して300円程度で買った。


啓蒙書だけあって、また明治のベストセラーだけに内容は本当に元気づけられるものが多かった。


前向きにもなれた。


自分の中の倫理や道徳を見直してみようと思うキッカケにもなったのだ。





しばらくして

これも中古本で『福翁百話』110円で買った。


この書物も同様に考えさせられるものが大いにあった。









これを通して思った。


安価な買い物でこれだけ自分の内面に向き合えることができる機会を得られたのだ。


素晴らしい買い物ができたと思う。


そして300円や110円の値打ちを、さらに上げるか否かは今後の自分をどう活かすかにかかっていると思うわけである。


その僕が活かす先にあるのは

抽象的ではあるが、発展や福祉、平和といったものがある。











すなわち下手な買い物は

ただその一瞬の快楽や保身のみのために心身を費やし、挙げ句の果てには不利益を被るようなことを指し、





上手な買い物は

快楽や保身を得ながらも、その買い物によって今後の自分と向き合い、健全な心身を得て、前向きに歩むことのできるものであれば良いわけで

そして良い影響が永続し、結果が結びつくものが理想的であろうか。









自分の買い物が何らかの健全な形で還元されることを目標にお金を使えば、少くなくとも吝嗇も落ち着くのではないか…と勝手に思っている。