太宰治は大好きで

よく彼の本を読んだ。


破滅的な自分軸のない 

悲しみの淵を

彷徨っている様な感じ


なぜだろうって

いつも思っていた。

いま、セラピー、カウンセリングなどを

仕事にしてわかることがある。


彼の出生を調べたら

11人のうちの10番目だったそう。

お母様は病弱で、乳母に養育され

その後叔母やお手伝いさんと

養育者が変わり続けた。

わたしが認識している

アタッチメント不足は愛着障害を引き起こし

不安定になりやすい。

幼少期、しかも赤ちゃんの時から

安定した養育をなされなければ

子供は不安定になってしまう。

彼は母からの愛の不足を

愛人で補っていたのではないかと

わたしは考えます。

人は常に、無いものを求める生き物

自分を満月に例えると

欠けている月よりも

満月になりたいと願う生き物なのだということ。


しかも、愛人はたくさんできても

埋まらないこころの隙間

彼の性格によるものもあるが

破滅的で破壊的。

それが彼だから

それでよいだろうけど

本人は辛かったのではなかろうか?


作品とこころの傷

苦しいからよき作品が

生まれるわけでもあるが

ハートを癒して欲しいわたしにとっては

苦しさを取り出すがよいか

取り出さずにいることがよいか

わからなくなるが


わたしは、彼に長く作家を続けて欲しかった

と、思うので、ハートの苦しみを無くし

成長とともに切り替わり

素晴らしい作品をと願うのは

エゴなのだろうか?


わたしは皆さんも

ハートの傷と向き合って

楽になり幸せだと思って

生きてもらいたいなと

つくづく願います。







マリア