わたしは、1986年に

初めて日月神示を読みました。


ひかり教会というのを

当時はされていて

ガリ版刷りのものを読んだのが始まりでした。

もちろん。今のような本でもなく

立派な装丁でもありませんでした。

1990年代になり、中矢さんが本を出され

有名になりましたね。

私は岡本天明さんが亡くなったあと

奥さんの元へ通ったり

北海道にいた私は、成田にいって

燃やされ再建されたばかりの麻賀多神社に

参拝にいったものです。


最近また、一定のファンから

あたらしく知らなかったからと

読みはじめる方が増えたように思います。





昨年からまた、読めってことだったのですね。

神示には読みたくても手に入らないようになると

書いてあります。


天変地異は人の異変ぞ(地つ巻・第二十九帖)

雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ。甘受した後、処理していかなならん。受け入れずにハネ返すのは大怪我のもと。何回でも何でも同じこと繰り返せねばならんことになるぞ。(春の巻 第十六帖)

(いくさ)には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様御怒りなされているから早う心入れ替えよ、この神様お怒りになれば、臣民日干しになるぞ。(富士の巻・第十八帖)

神に怒りはないのであるぞ。天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん。
(扶桑之巻・第八帖)


天災や地変は大き肉体の応急処置の現われであるぞ。部分的に、人間苦しめるように思うてはならん。一日一度は便所に行かなならんであろうがな。人間この世の五十年をもとと考えるからわからなくなるのざ。(春の巻・第四十九帖)

つつましく、正しくして行けば その国々で一切不足なく暮して行けるように何もかも与えてあるに気づかんのか。天災地変は人間の心のままと申してあろう。豊作、凶作 心のままぞ。今のままで行けばどうなるか、誰にもわらんであろうが、神示通りに出て来ること、未だ疑っているのか。(黄金の巻 第九十二帖)


日月神示 噛み締めていかねば

ならないようですね。






マリア