あの朝

私は夜中まで本を読んでしまい

朝、若干寝不足でだるかった。


学校へ行く準備

いつもは前日に済ませるのに

この日は寝落ちしたから

朝バタバタ準備をした。


父が出かけるのを背中で聞いて

行ってらっしゃいと声だけかけた。


昼間 学校の授業中

小学6年で卒業時期だったから

卒業制作をしていた。

ふと、父親が居ない気持ちはどんなだろう?

と、思った。

瞬間、まずいまずい、そんな事思わない!

と、こころの中でたくさんの❌をつけて

否定した。


夜、そろばん塾から帰り

いつもは父の帰りを待ち夕食だが

最近父が忙しく、会社に泊まり込む事も

度々あったから、先に食べた。


18:30 サザエさんが始まり

イントロが流れ出した。

トイレに先に行こうと立ち上がった

私の腕時計の留め具が

バン❗️と飛んだ。


慌てて、時計を外した

母に時計が外れちゃった❗️

と騒いだら、

『お父さんが帰ったら見てもらいなさい』

と母がいうので

外してステレオの上に置いた。

一週間前に誕生日で買ってもらったばかりだった。


その日は節分で、豆を撒く準備をしたまま

父を待っていた。

しばらくすると電話が鳴り

父が会社で倒れたという。

母は慌ててタクシーを呼び

入院準備をして出て行ってしまった。


私はなんだかいやな予感がして

枡の中にある豆を一握り掴んで外に出た。

『鬼は外!』と言って豆を玄関先に撒いた。


23時近く、父は白い布をかぶって

帰宅した。


私は泣いた

でも、芯から泣けなかった。

悲しい感情は溢れてるから泣けるけど

まだ涙は残っていた。

母を思い泣くのを控えたから

涙がまだ残っていた。


ある日悲しみを語らずに

生きてきたことに気づき

腹の底から泣いた。

泣いて泣き尽くして

私の胸から悲しみのかけらが

取れた日があった。


悲しみは無くならないけれど

悲しみを思い出と共に

玉のように大切に持ちながら

生きることはできると考えている。


何十年も経って

グリーフケアを学び

喪うという苦しさを学んだ。

人は

亡くなるのを見つめ

喪う事を感じ尽くして

悲しみを内包しながら

生きる存在なんだと今はわかります。


亡くなる悲しみと

喪う悲しみは同じではない。

別々に涙を流さなければ

悲しみの受け入れはできない。


私の時計はその後直したけれど

プレゼントしてくれて

直してくれるはずだった人には

二度と会えない。

あの18:30分過ぎ

父の心臓が弾けた時間に時計が壊れた。

私が受け取りしたスピリチュアル現象

一時期それが嫌で

スピリチュアルな感覚に蓋をしたが

私は再び、スピリチュアルな感覚を

受けとることを許した。


ひとは

朝は話が出来ても

夜には話ができなくなることもある。


私は12歳でそれを学んだ。


私がグリーフケアを学んで

わかった事。

そしてそれは、寄り添い手があれば

なお一層

悲しみで割れてしまった色々のかけらを

手のひらであたためながら

大切な玉にすることが出来る。


そんな寄り添い手になりたくて

いまここにいる。


だから、死は嫌だし辛い

みんなに危険を察知し

生き延びる術を知って欲しい。


私の動機はここにあります。








マリア