ひもんやぢい散歩21~ おばあちゃんの原宿は目黒だったかも?!
西郷山通りを歩いて、東京音楽大学のある「目切坂」の交差点に戻りました。 ここから目黒川沿いに向かいましたが、やはり川沿いは大混雑なのでお花見は諦めて、2車線の車道のある「宿山橋」を渡り山手通りの交差点に出ます。この交差点は五叉路になっていて、斜め前方に向かう細い道が、八幡通り、目切坂から続く「鎌倉街道中道(なかつみち)」です。 昔の旅人になった気分で、蛇行する細道を歩いていきます。 しばらく行くと、右手に重厚感のある落ち着いた建物、「KKRホテル中目黒」が見えます。正式名称は国家公務員共済組合連合会目黒宿泊所で、一般客も利用できます。国家公務員共済組合は目黒区内の「東京共済病院」、「三宿病院」の運営母体でもあり、全国に病院や宿泊施設を持つ一大組織です。共済組合が、組合員の「共済」を越えた事業を行うのはいかがなものかとはおもうのですが、共済病院や三宿病院なくなっては困ります。 駅前の喧騒を離れた、ここKKRホテル中目黒には一度泊まってみたいとおもいながら、何十年も果たせずにいます。いつでも行けるところにはいつまでも行かないものだと、散歩しながら感じることしばしばであります。 年内には必ずと念じながらKKRホテルの前を通りすぎると三叉路で、道が二手に分かれます。まっ直ぐ進むと「野沢通り」で野沢通りとの交差点には「宿山庚申」があり、この道が鎌倉街道とされていますが、野沢通りは1964年の東京オリンピックの年に出来た道なので、交差点から先は旧道ではありません。もう一方の左折する道も味わい深い細道で、こちらも鎌倉街道だった可能性があるとおもっています。山手通りにも旧山手通りがあるように、道は一本とは限りません。 今回は左側の道を行きます。道は下り坂で、左手に「烏森小学校」、右は「烏森稲荷神社」です。この坂道の途中に烏森稲荷の裏参道があるのですが、工事中で閉鎖されていて、坂道を降りて表参道に回って参拝します。日が落ちてだいぶ暗くなってきました。夕方のお稲荷さんはちょっと不気味です。 そそくさと参拝を済ませ、表参道から元の道に戻り交差点を右折すると、祐天寺駅に向かう「稲荷坂」です。てっきり烏森稲荷の稲荷坂だとおもっていたら、区の標識を読むと「刺抜(とげぬき)稲荷大明神」が由来と書いてあります。目黒区にとげぬき稲荷?、初耳です。左右をきょろきょろしながら坂を登りましたが、それらしい神社は見つからないまま坂を登り切って東横線のガード下まで来てしまいました。かなり暗くなってしまい、夜のお稲荷さん探しは怖いので、明るいときに再確認することにしました。 さて後日の昼休みに稲荷坂を再訪しました。事前に調べてから行ったので、坂の途中から少し入ったところにある「刺抜稲荷大明神」に迷わず辿り着くことができました。大明神とは正一位・従一位の神階をもつ「国内鎮守の神」で、この神社はかつては大きな社殿の神社だったとおもわれますが、今は個人宅の駐車場の隅にある小さな祠で、現在の土地所有者がご先祖の信心を尊重して残されています。来歴を説明する石碑もあって、新田義興が鎌倉攻めに失敗して矢口の渡しで処刑されたことを悼んだ家臣が、義興をの霊を弔うお堂を立てたことが由来とのことで、武蔵新田の「新田神社」と同じ新田義興公が御祭神ですが、それがなぜ刺抜き稲荷になったのか、少し調べてみたのですがわかりませんでした。 もしそのまま残されていたら、目黒区にも「おばあちゃんの原宿」ができていたかもしれません。因みに巣鴨の「とげぬき地蔵」は曹洞宗高岩寺に祀られている地蔵菩薩の俗称で、毛利家の女中が誤って針を飲み込み、地蔵菩薩の御影を飲んで助かったことから、そう呼ばれるようになりました。