ひもんやぢい散歩7~目黒のさんまの現場検証
「目黒のさんま」の現場検証ということで、今日は目黒区三田界隈をお散歩です。 東急バスを「権之助坂」バス停で降り、坂を少し上ったあたりを左側に曲がります。目黒駅から恵比寿方面に向かう目黒三田通りと、目黒川にはさまれたこのエリアは、「千代が崎」と呼ばれ、千代が崎は、昭和7年以前までは町名に残されていました。千代が崎はかつては東に品川の海、西に富士を望む風光明媚な場所で、歌川広重の浮世絵集「名所江戸百景」にも、この地にあった桜の咲く千代が池が描かれています。 この「千代が池」が千代が崎の地名の由来です。南北朝時代の武将、新田義興の愛妾の千代が、義興が処刑されたことを嘆いてこの池に身投げしたことことから、千代が池とよばれるようになりました。 新田義興は新田義貞の次男で、太平記には勇猛果敢な武将として描かれています。後醍醐天皇に寵愛され、義貞の家を興すようにと、義興の名を頂きました。足利尊氏の死に乗じて、1358年(正平13年/延文3年)に鎌倉公方の足利基氏と関東管領の畠山国清を攻撃するも果たせず、矢口の渡で処刑されます。この顛末が人形浄瑠璃および歌舞伎の演目「神霊矢口渡」になっています。東急多摩川線の「矢口渡駅」の一つ手前、「武蔵新田駅」には新田義興を新田大明神として祀る「新田神社」があります。 新田神社は「破魔矢」の発祥の地といわれています。「神霊矢口渡」の作者でもあり、土用丑の日のうなぎを仕掛けた稀代のヒットメーカー、平賀源内が魔除けとして考案し、新田家伝来の「水破兵破」の二筋の矢を模して、参拝客は2本の矢を買って1本は神殿に供え、もう1本を持ち帰って魔除けににするという売り方で、新田神社の破魔矢は浄瑠璃「神霊矢口渡」との相乗効果もありヒット商品となり、神社の破魔矢の習慣は全国に広がりました。(諸説あり) 話が三田から逸れてしまいましたが、この千代が池は、昭和10年ごろまで現在の住所が「目黒区目黒1丁目1番地」である警視庁目黒合同庁舎のある場所に残っていたそうです。 警視庁目黒合同庁舎と、明治の元勲三条実美邸の跡地で現在ホテルプリンセスガーデンの間の急な坂道を登って、目黒三田通りに出ます。 目黒三田通りを左折して恵比寿方面に歩いていくと、右手に「日の丸自動車学校」があります。山手線の車窓からは。校舎の壁面にある日の丸を模した真っ赤なリンゴのような個性的なオブジェが目を惹く、日の丸自動車学校です。 日の丸自動車学校の角を再び左折して、坂を下ります。両側に住宅やマンションが立ち並ぶこの坂には、特に愛称はつけられていませんが、敬愛する作家、評論家、翻訳家の故丸谷才一先生が「さんま坂」と命名されたのが、この坂ではないかと私はおもっています。丸谷先生は目黒区三田の坂に面したマンションにお住まいになっていて、「さんま坂」のことをエッセイなどによく書かれていたのですが、このエリアには坂がたくさんあるので、違うかも知れません。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。 さて、この急な「さんま坂(仮)」を降りると、巨大な煙突のある目黒清掃工場の緑地に出ます。遠くからも見えるこの煙突の高さは150メートルで、東京タワーの展望台と同じ高さ、そしてここではごみ焼却時の排熱を利用して約5万世帯分(最大21,500kW)の発電を行っています。ゴミは焼却して発電に使うのが一番合理的です。特にプラスチックごみは元は石油、カロリーが高いので発電燃料に向いています。くれぐぐれも分別してリサイクルなどという偽善にだまされずに、プラスチックごみも可燃物として捨てて、「電気として再利用」しましょう。 話がまた脱線してしまいしたが、清掃工場に沿って進んだ突き当りが、また広大な「防衛省目黒地区」で、防衛装備庁、統合幕僚監部、陸上自衛隊目黒駐屯地、海上自衛隊目黒地区、航空自衛隊目黒基地がが共同使用しています。 山手通りから目黒清掃工場と防衛相目黒地区の間を通って、目黒三田通りとの交差点までの坂道を「新茶屋坂」と呼んでいますが、「目黒のさんま」事件の現場は、その少し手前の細い坂道「旧茶屋坂」です。