越すに越されぬ大井川越えて10~どうにかなるさの堂平
井川線の終着駅「井川駅」は標高686m、日本一のJR小海線「野辺山駅」1,346mには及びませんが、静岡県で一番高い位置にある鉄道駅です。 11時7分、列車はゆっくりとホームに入線します。広く長い構内に、引き込み線も2本あって、この駅が井川ダム建設の資材運搬の拠点であったことがわかります。折り返し列車の発車時刻は12時25分であることが何度も案内されるのを聞きながら降車して、駅舎に向かいます。 運転士さんが運転ハンドルを外して降りていらっしゃいました。機関車に後ろから押されながら、先頭客車を運転するのはたいへんですか?とお伺いすると、下り坂で後ろから押されて運転する方がずっと難しい、と教えてくださいました。井川駅行きの山登り列車が、機関車を後にして千頭駅を出発するのは、折り返し運転を考えてのことなのです。 井川駅のホームから駅舎に向かう途中に本線から分岐する線路があり、分岐線の先はトンネルになっていますが、トンネルに向かう線路は封鎖されています。かつて井川線は井川駅の次の「堂平駅」まで線路が続いていた名残です。 その分岐線を渡ると小さな駅舎があり、駅舎を出て階段を降りると「井川本村地区」に向かうマイクロバスが待っていました。井川線の到着に合わせて運行されているのだとおもいますが、乗る人が誰もいないことを確認して去っていきました。 駅前の道を少し歩くと、「井川ダム」そして人造湖の「井川湖」が広がります。湖面は絵の具で描いたようなブルーで、陽光を反射しています。 湖畔のダムの事務所の前からは井川本村地区行連絡船が定期運行され、本村と20分で結ばれています。更に井川湖を遡上する遊覧船も運行されていて、一緒に井川線を降りてきた乗客の何人か連絡船乗り場に並んでいきました。乗ってみたい気もしますが、折り返しの上り列車の発車までの1時間18分で戻ってくるのは無理なのであきらめます。 井川本村地区は、ダムから更に井川湖上流右岸のこの地域の中心集落で、井川ダム建設で湖に沈んだ住民もこの本村地区に移り住んでいます。市役所の出張所や診療所もあり、南アルプス登山の拠点でもあります。 「井川ダム」は昭和32年(1957年)に竣工した中部電力の発電用ダムで、手前の「奥泉ダム」と一体運用されていて、1日に62,000キロワットの電力を供給しています。ダム内部が空洞になっている我が国初の中空式の重力コンクリートダムです。 ダム建設によって作られた「井川湖」の湖畔を散策します。天気が良くて本当に良かった。 しばらく進むと「廃線小路」と呼ばれる遊歩道があります。遊歩道の手前にはトンネルがあって、井川駅にあったトンネルの出口がここなのです。トンネル自体は現在倉庫として使われているようです。そしてそのトンネルから出てきた先の線路がそのまま残されているのです。井川駅から先の堂平駅まではダム建設の資材運搬専用線だったのですが、ダム建設が終了して廃線になっています。 木々が鬱蒼とした湖畔の線路道をひたすら歩いて行きます。熊に注意の看板もあります。白神山地散策の時に買ったクマ除けの鈴を鳴らしてはいますが、注意の仕様がありません。言葉を交わすわけではありませんが、井川線に一緒に乗ってきた仲間たちが頼りです。複数の人が歩いていれば、クマもこの時間だけは遠慮して出て来ないことを願います。 廃線跡とはいえ枕木も線路もしっかり残っていて、線路の上を歩くとお爺さんの気持ちは「スタンドバイミー」です。はて、少年たちが線路を歩いて探していたのは死体だったことをおもいだし、頭の中を線路を歩く他の映画に切り替えましょう。「砂の器」ではハンセン病の父が乗せられた汽車を追いかけて、秀夫少年が「木次線」の線路を走っていきました。うーんあまりイメージ良くないなあ、「小さな恋のメロディ」のラストシーンでは、メロディとダニエルと級友たちが、追いかける先生たちから逃げて街はずれの線路を走ってきて、途中で二人は仲間に見送られながらトロッコを漕いで去っていきました。これはいいシーンでしたが、メロディのトレイシー・ハイドも、ダニエルのマーク・レスターも今やお婆さん、お爺さんです。 廃線小路にはトンネルも残されていて、中を通ることが出来ます。トンネルの手前には信号機も残っています。トンネル内ではこちら向きに歩いている人たちとすれ違いました。まだまだ線路は続いています。このまま進んで帰りの列車に間に合うかが気になり始めましたが、前方には歩いている人がいますし、私の後ろにもいます。まだ大丈夫です。 トンネルを抜けると、戻ってくる人が多くなってきます。まだ私の前後を歩いている人もいるから心配ないと言いきかせながらも、歩を速めます。あとからわかったことですが、トンネルは廃線小路の中間点よりも手前で、トンネルから先の方が長いのです。 ようやく森の中の終点に辿り着きました。ここで廃線小路は広場になって、線路は二股に分かれて終わっています。ここに昭和46年(1971年)まで貨物専用駅の「堂平駅」がありました。井川線完全制覇です!この路線は更に井川本村を経て更に上流の畑薙第二ダム手前の「桃の木島平」までの延伸や、観光鉄道としてミニSLを走らせる計画もありましたが、結局廃線となり遊歩道として活用されています。 道はこの先も散策路として続いていて、ずっと歩いていけば井川本村です。途中には井川湖の入り江に架かる「夢の吊り橋」や、高さ11メートルの「井川大仏」などの見どころもあります。井川大仏は、昭和55年に井川診療所の歯科医だった佐藤平一郎先生が、ご自身が60年間健康に生きられたことに感謝して開眼された無宗派の大仏です。私も碑文谷二丁目にお地蔵さんぐらい寄進しようかしら。 後ろから歩いて来たグループが、私を追い越して廃線小路の先に進んでいきました。おそらく井川本村まで歩いて、連絡船で井川湖を下り戻って、15時20分井川駅発の上り列車の終電に乗る計画なのでしょう。 さて、私はここで引き返し「井川駅」に向かいます。時間はすでに11時50分、井川駅まであと30分で戻らなくてはなりません。前を歩いている人は見えますが、もしかしたらゆっくり観光して次の15時20分の列車に乗るご予定なのかもしれません。すれ違う人はもういません。芥川龍之介の「トロッコ」の少年の、帰り道の気分です。私は早歩きで前のグループを追い越し、件のトンネルも小走りで通過したところで、前方からやって来た方に声を掛けられました。「あとどのぐらいありますか?」「ここまでの倍ぐらいですね」と私が答えると、「そうですか、じゃあ大丈夫ですね」とおっしゃいました。 何が大丈夫なのかはわかりませんが、堂平まで行って戻って井川駅12時25分の下り列車に乗るのであれば、ちょっと厳しいのではとおもい、私は答えずに曖昧な表情をしましたが、赤いキャップの男性はトンネルに入って行ってしまいました。私の「ここまでの倍」という言い方が、もしかしたら「ここが中間点」と誤解されてしまったのかもしれません。追いかけて、一緒に戻った方がいい、と伝えようかと迷いましたが、もし12時25分に間に合わなくても15時20分の最終列車があります。それに井川ダムも井川本村も無人郷ではありません。クマさえ出なければ何とかなります。人生すべからくどうにかなるのです。 ということで、赤帽子さんのことは忘れて、自分最優先で歩を進めます。風景やせっかくの廃線歩きを楽しむ余裕もなく歩いて、途中何人かを追い越しながら、ようやく「廃線小路」の始発点まで戻ってきました。帰りに見学しようとおもっていた、井川ダムや井川線の歴史を伝える「中部電力井川展示館」も、立ち寄る余裕もなく通り過ぎ、駅前の階段を息を切らせて登り切り、発車10分前に何とか戻ってくることができました。 まだ改札は始まっておらず、小さな駅舎には一緒に乗ってきた面々がまた集まっていましたが、人数は減っているので次の15時20分の最終列車まで井川に滞在する人も多いということがわかりました。 千頭まではまた2時間乗車の長丁場です。井川線の列車にはトイレはありませんので、(おむつを履いているとはいえ)乗車前に用を足しておかなくてはいけません。