息子が私に疑問をぶつけてきたこともあった

 

あんたどうしてそんな育ち方してんのに

 

赤ちゃんとか産もうと思ったの?

 

それは

 

私が一番答えられない質問

 

わからない

 

未だにわからない

 

「殺されそうになったから親父から逃げた」では

 

片づけられない疑問だった

 

子供を産むのは何も報われない人生の始まりでもある

 

人生の前半を親父に後半を息子に取り上げられる

 

人柱となる覚悟があったのか

 

私は何かを訴える様にただポロポロと涙を流し息子を見つめた

 

息子はごめん、変な事聞いたよな、答えなくていいから

 

母性が勝ったんだよな

 

私の心にはちょっとした地雷が埋まってるらしく

 

不足のない人生を送ってきた息子にはその場所がわからない

 

普通に聞いたことで涙を流す

 

一体どんな人生してんだ

 

ただ息子と

 

ずっと心が交わらない感覚を作ったのは私だし

 

何よりそれを望んだ゜

 

私の気持ちがわかるような育ち方をして欲しくない

 

それでも息子は私の心に葛藤があったのではないか

 

と想像したらしい

 

事実あった

 

近所に住む小さな女の子達が当たり前のように母親に甘えて

 

楽しそうに遊んでいる姿がとても不愉快だった

 

綺麗な服を着ているのを見て、贅沢させんなよと苛立ちもした

 

虐待されて育った大人は子供が嫌いな人が多い

 

子供だから許されると無邪気に寄ってくる子供にムカつくらしい

 

不思議な事に他所の子供には厳しい癖に

 

息子に対してそんな気持ちは微塵もない

 

子供の頃、誰からも愛されなかった反動は大きい

 

私は自分の時間を惜しげもなく息子に費やした

 

仕方なく主人に預け美容院に行った時でさえ

 

日頃面倒をみていない主人が信用できず

 

ハラハラして

 

切り終わると飛んで帰った

 

息子が学校に行っている時ですら

 

仕事と買い物以外、外出はしなかった

 

ママ友とランチなんてとんでもない

 

子供が一生懸命勉強してるのに

 

ママは楽しくランチ?

 

いやいやあり得ませんから

 

もし、子供に何かあったらどうするつもり?

 

学校から電話があっても連絡取れないじゃん

 

当時携帯電話の普及はしておらず

 

息子が中学に上がった時

 

やっと一般的になった携帯を買って

 

初めてママ友と

 

       自分の好きな

 

映画を観に行った

 

13年ぶりの映画館は近代的になって私の想像を上回った

 

私は息子を叩いたことがない

 

ただ冷静な人格とはまるで別物で

 

自分の経験から人を叩けなくなっていた

 

赤ちゃんは泣かせておけばいい

 

悪い事をしたら道を示せばいい

 

自分の思い通りにならなくていい

 

話し合えば大概のことは解決できた

 

息子には不思議な視点が育っていた

 

ひとりっ子にも関わらず

 

自分だけが中心ではないことを学んだ

 

ある意味、大局的に物を見て判断する力が備わった

 

今でも息子の方がずっと悠然で大陸的だ

 

でも振り返ると私の子育ては偏り過ぎて

 

人に理解してもらうのは難しい

 

それは私の生育が大きく影響しているからだ

 

母親が気分転換に遊びに行くのは普通のことだろう

 

子供が事故にあったとしても何処に居ようが自分を責める必要はない

 

私は愛情の上に信頼関係があるのなら叩くのも問題視はしない

 

他人でも虐待で叩いているかどうかは

 

容易に判断できる

 

なにより子供がそれをちっとも恨んでない

 

きっと他所の家庭でも親子の会話は続いていくだろう

 

私は人柱になんかなっていない

 

むしろ息子のお陰で人生をやり直せた

 

それで良いんだと思う