以前触れた失語症について話をしたいと思います。みなさん何年か前、皇后美智子様が失語症になられたの覚えていらっしゃいますか?
私はその当時、「今まで話せていた人が急に話せなくなるなんてちょっと変だ」と正直信じられずにいました。今考えるとこんな知識の無い人がいるから、失語症の人たちが苦しむのかもしれませんね。
私の場合、やはり悪い性格が出て一人で追い詰められ挙句に主人と喧嘩、と言っても一方的に私だけが怒っていたのですが最後に主人に「私ばかりが辛い思いをしている」と言った後で心の中で何かおかしな感覚に、、、上手く言えませんが何かが終わった、、、という感じに襲われたのです。
それ以降、全くしゃべれなくなりました。だから自然と筆談になります。私は用事があれば家族にメモを渡し会話を成立させていました。それが三日程後でしょうか主人が「いつまで怒ってるの?いい加減にしゃべったら、、、」と言うのです。私は主人がそんな幼稚な気持ちで口をきかなくなったと思っているのかとショックを受けてメモ紙に「話さないんじゃなくて話せないの、、、声が出ません」と書きました。
すると主人は想像以上に驚いて「本当か、、、すぐに病院に行こう」とすごい勢い。偶然にも私が「今日が診察日なの、、、」と伝えると「自分も一緒に行く」とさっさと準備をして予約時間も関係なく私を精神科に連れて行きました。
先生には主人から何時からしゃべれないのか何か思い当たる原因がないのか?と聞かれていました。主人は私が毎日毎日家事に追われ一日もゆっくり休む事が出来ない状況を自分で作りそれに苛立ち最後には怒鳴って、、、それ以降全く話さなくなりました、と説明していました。
私は自分の言葉で先生と話がしたかったので「主人に席を外してもらいたい」とメモを渡しました。すると先生は上手に主人を「外に出るように」と促してくれました。さてふたりきりになって私は自分の性格よりも何故か主人や子供に対する不満をポツリポツリと話し始めたのです。そして感情を爆発させ涙をながした後、私はこんな気持ちで過ごしていたのかと改めて知ったのです。
その後主人も子供も家事に積極的になり何もしなかった主人がお昼にチャーハンを作ってくれたり子供が洗濯や夕食を作ってくれたり、、、しかも私だけが特別メニューでとても手の込んだもの、、、。
それでもしゃべる事は出来ませんでした。たとえそれが誰であっても、、、話そうとするけれど心の中で酷い拒絶が生まれてしまうのです。上手く説明できないのですが、、、発声できるのに感情がそれを許さなかった。やっぱり精神的なものですよね
私の毎日は少しだけ変わり主人はお昼を作ってくれたり大好きなお菓子を買ってきてくれたりと日頃は全くしない事をしてくれる様になりました。子供も積極的に家事に参加。「お母さんの様に上手くは出来ないけれど自分にまかせて、、、」と言って頑張ってくれました。しかしそれには条件付き「これからは遠慮せずに何でも困った事、助けてほしい事は素直に言うこと」。だから今でも買い物と夕食は子供の仕事。色々と面白い発想で「男めし」を作ってくれます。
そんなこんなで数か月が過ぎた頃でしょうか、家族の優しさに比例していくように少しずつ話せるようになっていきました。私の気持ちを分かってくれた大切にしてくれたという気持ちが生まれ自分自身の心が癒やされたのでしょう。考えたら今まで「もしかしたら家族は私の事を家政婦くらいに思っているに違いない」という感覚が心のどこかにありました。だから家族の私に対する接し方で「そうじゃないんだ」と納得できたことが話せる原因になったのでしょうね。
私は精神的に不安定な癖に出来るだけ期待に応えようとする、、、。本当は良い意味で誰も私に期待なんてしていないのです。自分の事だけ考えて気持ちを楽にしてもらいたい、、、と家族は思ってるのに。私自身がそれを許さないという変な状況なのです。
今は以前より随分と楽です。主人も自分の身の回りの事はしてくれる様になりました。子供は相変わらずポジティブシンキング、私を支えようとしてくれています。ただ、子供にとっては迷惑な母親でしょうね。
失語症になって初めてそういう人たちの気持ちが少しだけ分かるようになりました。とても貴重な体験でした。そしてそれが無駄にならないようにこれからはもう少しハッキリと物が言えるようになりたいと思います。