毎日大して変わり映えのない毎日を過ごしてます。。。
最近気づいたのだけど、私仕事に疲れてるっていうか人間関係に疲れてるのかも。。
とりあえず、わたし一人反省会をするのが癖で。
仕事終わって家に帰るために運転してる時に「あの時私ああいう風に言ったけど、こういう風に思われてたらどうしよう」とか。
とりあえずその日何をだれと話したか思い出しては、反省するんです。
別に面と向かって切れられたわけでもないし、相手が起こってるわけでもないのに。
この間あるブロガーさんがアドラーの本を勧めてたから買って読んでみたらさ、、
相手の顔色をうかがう = 相手にどう思われてるか気にしてる = 自己中心的(自分がかわいくて仕方ない)
みたいに書いてあったのね。(間違ってたらごめんなさい、でも私はそう理解しました)
確かにそのとおりだなーって思って。
結局相手に『自分が』どう思われてるか気になって仕方ないってことだよね。
相手が自分を嫌おうが嫌わまいが、それは相手の課題で自分の問題じゃない。
すごいわかる!!って共感した。
それ読んだ直後は「よし、相手が私をどう思うかは私にはコントロールできないし、私は自分の好きなように行動したり発言しよう!」って誓ったんだけど、、、長続きせず。
本は知り合いに貸してしまったから今手元に無いけど、また読み返したいな。
あとすごく目からウロコだったのが、過去があるから未来がある、じゃなくて、こうしたいって目的があるから過去を理由にしてる、みたいな考え方の話。
例えば、、、
店員が自分の服にコーヒーをこぼしたから怒鳴り散らす はコーヒーをこぼされた、という過去があるから結果怒った、という考え方もあるけど、、、
怒りたかったから怒った(コーヒーをこぼされたのは単なる出来事にすぎない) がアドラーの考え(目的論って呼ばれてたはず)。
なんで店員がコーヒーをこぼしたことと自分が怒ったことが関係ないかというと、ヒトは起こった出来事に対して自分次第でどんな対応もできるから。
極論、怒るんじゃなくて笑って許してあげることもできるわけですよね。
自分にふりかかる出来事はコントロールできないけど、自分の感情は自分でコントロールできる。
だから、ある出来事に対して、悲しむのも、怒るのも、そして笑いとばすのも自分次第。
どっちの考え方があってるとか間違ってるとかではないけど、私は今まで過去を理由(言い訳)に自分の生き方をたくさん決めてきたような気がするなーって。
うちは貧しかったから、私は大学に行かなかった、とか。
(大学に本当に行きたかったら奨学金借りてでも、バイトかけもちでもして行けたはず。結局うちが貧しかったということを理由に大学に行く努力をしなかっただけ)
長いこと、私は接客業の経験しかないからオフィスワークは無理、と決めつけていたり。
(オフィスワークにどうしてもつきたかったならそれに向けて勉強すれば良かったのに、経験がないから、、、を理由にして逃げていた)
他にも書いたらきりがないくらい。
今も転職したいなーと言いつつ、10月にバケーションあるし、、とかいろいろ理由をつけて中途半端に就活してる。
(本当に真剣に今すぐ転職したければ10月のバケーションがどうのこうのとか言ってないはず。)
この考え方を知ってから、自分の潜在意識というか、、本当の自分の優先事項が見えてきた気がします。
例えば、苦学生してまで大学に行きたくなかった過去の自分。
接客を辞めたいと言いつつも、新しいことに挑戦するのが怖くて現状維持してるほうが好きだった過去の自分。
ふーむ面白い。
もしかしたら、最初に書いた「一人反省会をするのが癖」も、本当は全く逆で、自分反省会がしたいからあれこれ悩んでるのかも、、!?
アドラーの本のおかげで新しい発見が出来て良かった!
とりあえず、もっと気楽にいきたい。