娘のところに行っていた。母の調子があまり良くない事を知っていたので、早めに家に戻ってきて、すぐ母に会いに行った。すぐ救急搬送してもらいたかったけれど、病院が運営しているショートなので、先生が診てから紹介状を書くとのことで、検査が終わり、肺炎になっている事がわかり、紹介状が出来上がるのを待ち、救急車をよんで、もらっていた。

呼吸はもう、辛そうで早く酸素マスクをつけてもらいたい、早く救急搬送してもらいたい。救急車が到着した、これから楽になると一瞬安堵したけど、母は涙を流しながら、呼吸をしなくなった。


もう少し早く帰ってきたら、もう少し早く救急車がついていたら、結局はその病院で呼吸は止まったけど、救急車で処置してもらいながら、病院に到着し、心肺蘇生を30分してもらったけど、母は、こちらに戻ってくる事はなかった。


94歳まで頑張ったんだからとか、家でみていたんだからと言われても、後悔しか残らない。今週月曜日にショートに行った時から、元気はなかったし、家でも食事ができなくてはいたので、覚悟はしていたけど。

それでも、急に逝かれた感じがして、後悔はたくさんあるし、お母さんは幸せだったんだろうかと思ってしまう。みんなに愛されていたけど、やっぱり亡くなってしまえば、それまで。でも母と頬をスリスリしたり、手をつないで寝れたり、私が幸せな時間を過ごせた。それに、私を待っていたかのように息をひきとった。お母さん、こんな娘でよかったですか?


私はお母さんの娘でよかったです。産んでくれて、私のお母さんでいてくれて、ありがとう。



2025年10月17日

12時52分

94歳の母が逝った。


昴の命日、7月15日、
自分誕生日7月16日


皮肉なものだな。

仕事の忙しさにかまけて、命日にお線香をあげて、昴の大好きだったお酒を仏壇にあげ


そんな事しかできなかった。そして、命日に自宅を売る手配にとりかかった。

メイはお嫁にいったし、私は2世帯のあの大きな家に住むつもりもない。


昴と建てた家で  たった3年間しか住まなかったけど、どーしても手放す事ができなかった。




でもこれからのことを考えたらと、手放す決心がようやくついた。

ごめんね、昴

でも、昴と病院ですごしたあの時間が私にはとっても大切で、形があるものが大切なわけじゃないと今すごく感じてる。




メイに負担をかけないようにするためには

いまで後回しにしてきた事をしながら、介護もしながら、だんだんとりかかるように決めた。

それには仕事をもは無理なので9月でやめる事にした。

あんな会社になってしまったもん。

昴も賛成してくれる。



長年務めたから複雑だけど、自分の最後の職場を今の会社にするには辛すぎる。

先のことは考えずに、とりあえず今、思うように生きてみようと思った今年の誕生日。


新たな復活をするために