♪~今日人類がはじめて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ~♪



とっても懐かしい曲ですね(若い人は知らないかもしれませんが・・・)。


『さよなら人類』というタイトルで、「たま」という4人組バンドのメジャーデビュー曲です。


なぜだかふと最近、この曲が頭の中に流れ始めてしまいました。

本当になんで今頃・・・???という感じですが・・・。

この曲が大ヒットをしていた1990年当時、たぶん中学1年生でした。あ、年齢がわかっちゃいますね(;^_^A

あの頃はまだ漠然としか日本語の持つ美しさも表現力の可能性も、何にもわからなかったので、この曲の「歌詞」の素晴らしさには全く気が付きませんでした。

今、あらためて聞いてみると・・・・歌詞がヤバいです!私の好みにドンピシャです!!素晴らしく文学的です!


「中原中也」と「宮沢賢治」を足して二で割ったような独特の世界観です。

・・・そこにさらにもう少し「毒とユーモア」を盛って、より怪しげな「たま」独自の異空間の広がりを見せています。


私なんかがグダグダ言うよりも、聴いていただいた方が早いですね(^▽^;)





私が文学を読むことの楽しさに目覚めたのは、高校2年生のときでした。


この曲を聞いたのはまだ本格的な文学に触れる前だったので、「歌詞」にまで注意を払ってはいませんでした。


・・・というより、バンドメンバーの奇抜な出で立ちや歌い方などのパフォーマンスにばかり気を取られてしまって、そちらの印象ばかりが強く残っていました(°д°;)

パーカッション担当の石川浩司さんの「山下清」風のタンクトップ姿と、知久寿焼さんの「ざしきわらし」のような短いおかっぱ頭とか、下駄とか・・・そんな外見的な印象が強烈でした。

当時中学生の私には「なんか面白い恰好の人たちがおもしろい歌を歌っているなぁ」くらいにしか思いませんでした。


素敵なものを感じ取る感性がまだ全然育っていなかったからなのでしょうが・・・。


あぁ、もったいないなぁ((>д<))

画像と一緒に曲を聴いてしまうと、どうしてもそのビジュアル面にばかり気を取られてしまう。。



この曲をふと二十数年ぶりに思い出したとき、一番最初にまず歌詞を調べました。なぜだかは分かりませんが・・・。

そして、「詩」を読みました。これは歌うための「歌詞」というより、これだけで一つの文学的価値のある「詩」なのでした。これには驚きました!


身近な場所から宇宙空間までを縦横無尽に掴み取り、自分たちの独特の世界として作り上げてしまう彼らの文学的センスと音楽センスには脱帽です。





『さよなら人類』 唄・たま   作詞・作曲 柳原幼一郎



二酸化炭素をはきだして あのこが呼吸をしているよ

どん天模様の空の下 つぼみのままでゆれながら

野良犬はぼくの骨くわえ 野生のちからをためしてる

路地裏に月がおっこちて 犬の目玉は四角だよ

今日 人類がはじめて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ



アラビヤの笛の音ひびく 街のはずれの夢のあと

翼をなくしたペガサスが 夜空にはしごをかけている

武器をかついだ兵隊さん 南にいこうとしてるけど

サーベルの音はチャラチャラと 街の空気を汚してる

今日 人類がはじめて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ



歌をわすれたカナリヤ 牛をわすれた牛小屋

こわれた磁石を ひろい集める 博士はまるはげさ



あの子は花火を打ち上げて この日が来たのを祝ってる

冬の花火は強すぎて ぼくらの体はくだけちる

ブーゲンビリヤの木下で ぼくはあのこを探すけど

月の光にじゃまされて あのこのかけらは見つからない

今日 人類がはじめて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ



今日 人類がはじめて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ



サルにはなりたくない サルにはなりたくない

壊れた磁石を砂浜で ひろっているだけさ



今日 人類がはじめて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ



サルになるよ サルになるよ