お休みも残り2日となりました
私の記憶が薄れないためにも
書き留めておこうと思います
かなり暗い話になります
気が進まない方はご遠慮ください
3月20日(火)
ここ最近ずっと子宮が痛くなることに気付く
そういえば毎月のものがきていないことにも気付く
おかしいなと思い一応検査薬で調べてみる
陽性反応が出た
まさかのことでびっくりと不安と喜びで頭の中が真っ白になり、その後の仕事は手につかなかったことを覚えている
陽性反応が出たとしても私もいい歳やし
ちゃんと病院で検査しなくちゃと思いその日のうちに病院へ🏥
病院の検査結果は
まだ胎嚢は見られません
子宮外妊娠の可能性もあるし、
早過ぎて見れないこともある
明後日、尿検査の結果を連絡します
で、病院を後にした
3月22日(木)
病院から電話がくるまで仕事も手に付かず
とりあえず待つしかなかった
お昼前に連絡がきて
『確実に妊娠はされてます
まだ周期が早いので1週間後に再診してください』
私の中では不安しかなかった
42歳での出産となるので高齢出産間違いない
(お相手さん54歳)
仕事のこともあるし
上の子の受験のこともある
正直不安しかなかった
その日、お相手さんに報告するため
1ヶ月以上ぶりのお久しぶりだったので
どんな風に報告していいものか悩んでいたら
向こうから切り出してくれたので話しやすかった
私達は身内の都合で結婚はしていないので
今後のことを話す必要があった
お互いいい歳であり
どうするのが一番ベストなのか
もちろん愛情の証だし、お互い望んでいたことでもあったのでこの歳だけど産みたいと思った
日に日に子宮の痛みは強くなるものの
私の中では妊娠したからのことだと
赤ちゃんの成長なのだと痛みに耐え過ごすことに
が、1週間後の4月5日(金)
私の子宮では成長できなかったようで
赤ちゃんの心拍が止まっていた
触診でポリープがあるのも発見され
処置と同時にポリープ除去もしてくれることに
それから1週間ずっと私は泣いてばかり
このまま私も死にたいと思うばかりでした
お相手さんにも言われ
ちゃんと供養だけはしてあげなきゃいけない
私の体も落ち着いたので
1週間後やっと供養に行くこともできました
お坊さんに供養をしてもらってる際に
名前を呼ばれるんですが、
名前を呼ばれた際に子宮が痛くなり
もう私のお腹には赤ちゃんは居なくなってしまったことを再確認させられた気がしました
妊娠に気付いてからたったの1週間だったけど
私をママにしてくれて本当に幸せでした
2人で相談して名前を
『朔(さく)』と名付けました
その日が新月🌑だったこともあり
私達の名前に月が入っていることもあり
最終的に私がその字に決めさしてもらいました
産んであげることができなかった我が子『朔』
申し訳ない気持ちしかなく
私は精神的にボロボロになり死にたいと思うまで落ち込み
そんな私を励まし支えてくれたのは
やはり息子達でもあり、
お相手さんでもあり、
わんにゃんず達でした




今日で1ヶ月
ちょうど今日も新月🌑です
そして朔の月命日になります
この1ヶ月抜け殻の私を支えてくれ
今は頑張って生きようと思うことができ
まだ、心の痛みは残っているものの
朔の分まで一生懸命生きなきゃいけないと今は思えるようになりました
当たり前に妊娠したら産んであげれるものだと思っていたけど、当たり前なんてないんですね
こんなにも我が子を失って辛くなるもんなんて知りもしなかった
今はまだ妊婦さんや赤ちゃんを見るのは辛いけど、やっとこうしてブログに残すこともできた
長かった1ヶ月ですが、
たまに体調を崩して床に伏せてる時もあるけど
もっと強くなって少しずつ前に進まなきゃいけない
きっと朔もそう望んでくれているはずなので
もう41歳
まだ41歳
どんな風に感じるかは自分次第なので
頑張って生きていきます