人の気持ちを推し量ったりできない夫。

 

それが当然らしいので、

 

私が不快な気持ちでいても

 

知らん顔だし、

 

「不快だ」と伝えても

 

『俺は不快じゃないから知らん。』

 

なのね。

 

何かを相談しても壁に向かって話しているよう・・・

 

たぶん、夫にも障害があるのだろうな。

 

そうでなければ説明がつかない。

 

 

それに障害がもたらす症状に

 

ぴったりと当てはまる反応ばかり

 

見せてるしね。

 

 

 

夫と結婚した当初、

 

私は鬱からやっと、寛解した時だった。

 

ちょっと理解し難い様子を呈する

 

男(夫)に理解を示してあげれば、

 

自分も救われるんじゃないかって

 

思っちゃった。

 

そんなことしても私自身が

 

救われるわけないのに。

 

 

私がバカだった。

 

そうなんだけど、

 

それにしたって、随分と

 

辛い人生になってしまったな・・・と

 

真っ暗な気持ちでいたんだよね。

 

そして、生まれてきた子供にも

 

障害が。

 

子供自体は有り難いことに

 

可愛げもあって大好きだけど。

 

でも、普通の人が当たり前に

 

サラッとできることができなくて

 

それに戸惑ったり、不安を感じて

 

体調を崩したり、泣いたり

 

癇癪したりしてるのを見ると

 

ごめんね…と思っちゃう。

 

障害を持たせて生まれさせてしまった

 

ことに引目を感じてしまうのは

 

どうしても否めない。

 

息子の障害は、夫の遺伝もあるかもしれないし。

 

 

 

辛い気持ちでいた私は

 

K先生に会ってから

 

この暗い人生に意味を付けたくなったの。

 

 

なんで、こんな人と結婚してしまったのかと

 

思わせるような最悪な夫と家族になり、

 

障害のある息子が生まれた。

 

息子に障害があって、

 

支援学級に入ったから

 

K先生と知り合うことができた。

 

 

夫と結婚し、息子が生まれなければ、

 

私はK先生とは会えなかったわけで。

 

その存在を、おそらく永遠に知ることは

 

なかったんだ。

 

 

よくよく自分の人生を思い返してみると、

 

自分から、「この人、素敵だな」と

 

思って恋焦がれた相手は、

 

K先生で2人目だ。

 

 

正直、私は、自分に自信がなくて

 

一番好きな人には

 

アプローチなどせず、

 

好きな気持ちも見せず

 

ただの友達に徹してきてしまった。

 

 

自分の周りにいる人間は、

 

自分の写鏡。

 

大して好きでもない人と

 

一緒にいたら、自分のことだって

 

大して好きにはなれないはず。

 

 

もう人生、半分くらい生きちゃったけど

 

これから、好きな人と一緒に

 

生きていかれるようになりたい。

 

 

夫なんか捨てて、

 

憧れと尊敬と愛情を捧げたいと

 

思える人と

 

一緒にいられるように

 

なったらいいな。

 

 

これまでの人生は、

 

きっと自分から好きになった先生に

 

出会うための”運命”だった。

 

 

そんな気持ちで生きていこうドキドキ