人が更に信じられなくなりました。
その事件(それは大げさだけど)が起こったのは、先月でした。
今は、やっと吹っ切れました。
ある大きな、名も知れてもいない、巨大な塊の中の人々を二度と信じる事はないでしょう。
嘘だらけのモノ達よ。
私は、許さない。
人が更に信じられなくなりました。
その事件(それは大げさだけど)が起こったのは、先月でした。
今は、やっと吹っ切れました。
ある大きな、名も知れてもいない、巨大な塊の中の人々を二度と信じる事はないでしょう。
嘘だらけのモノ達よ。
私は、許さない。
何かさ
例外ってあるんだなって思って。
とは言え、元からそんなものは許されていない訳で。
そういう風潮な者に散々な目にあった私は、だからといって、いくら結果を残そうが、許されないと思っています。
そんなことを、全国に発信して、許されると勘違いが蔓延するし、言い訳に使われたりしたら、どうするのですか。
泣いても、泣いても、やってきたことは、間違っている。指導者の成果ではなく、それに耐えた人の成果です。
成果を出せば、指導者のしたことは許されるとは思わない。
ついていくというのは、正当化したということです。
そういう考え方をベースに得たものは、結果だけみたらすごいとか言われるけれど、誰かしらの犠牲があっての事だと忘れないでほしいです。
私の傷は消えていないけれど、原因となる者は散々な行いをしておきながら、幾度かの配置替えで、見せかけの名誉に書き換えました。
許す事はないです。
という、なんてことはないつぶやきです。
指導力があれば、何でもありではないと思います。
ということです。
許されないことをした上での、指導ということです。
昔はとか、今はとか関係ないということです。
哀しい知らせがあった。
思い出の中にいつも明るくいてくれた。
いつでも会えるものだと思っていた。
今も心のなかで、はしゃいで、みんなに笑顔の連鎖を起こしているよ。
ありがとう。
また、どこかで、そしてずっと覚えているから。
泣くのは違うのかな。
でも、哀しい。
そして、本当にありがとう。
またね。