気づいていたし、そうだと思っていたので、そこまで驚きもなく。

こちらの感がいいわけではなくて、におわせが多かったというだけでしょう。

前置きもなくサラッと言って、あとからフォローするのは、苦しみの中、心の支えにしていて、少なからず信じていた者にとって心地の良いものではなかった。

立場に配慮などできないのだろうけど、耳心地の良い意見ばかり言ってくれる中にいると、見えなくなるものもあるし、傷つく人だっているだろう。


まあ、誰しもどちらの立場にもなるのである。


以前の私もそんな部分があったことを思い出した。


幸せであると見えなくなるもののほうが増える。


踏んではいけない場所を踏みまくるのだ。



嬉しさも、共感もない。

私は、冷たい人間だと思った。


外側と内側は違うのだ。


見せかけに騙されて共感していただけなのだ。


中身は、幸せだし、不幸は盛れば盛り付けられるのだ。


信じる力は年々減るよ。

誰にだって希望はある。

理想もある。


そして、邁進して行くけれどもたった一つの希望でも叶わないことだってある。


けれど、こうしてほしいと言ってばかりでも進まない。


それは、他人の努力の末でもあるからだ。


中身を知って、どうしてそうなっているのか、どこに問題があるのか、考えに考えても実現というのは難しかったりもする。


言ってる間に時は過ぎてしまう。


それは実際思う。


その時のベストでなくても、そこそこまで自分で掴み取るしかないと過ごしてきて思う。


未来になれば何でも進化し、良くなる訳でもなく、前のほうが良かったと思うことも多い。


どこかの誰かに希望してもないものからうまれず、量的にコントロールしたとして、充実は見込めないことなどわかっているのに。


だいぶ前だけど、すてたものじゃないなとちらりと見えた光は何だったのか。


私は、今は理想を、希望を持つのは持つけどどこかの誰かにぶつけるのを諦めているのかもしれない。