壮大なカゲグチ。

おされて、ペラペラといくら相手が悪かろうが、賛成票が当たり前だと言い過ぎてしまったり。

賛成票の中にも、思惑がある人もいたりして。

正当化もよいけれど、相手を追い込み過ぎても良くないのでは。

自身が間違えた時、同じになる。


親身というのは、こんなことじゃないし。


とはいえ、ノンフィクションとも限らないので、いいちゃいいのか。

意見は様々あれど、正解はどこにあるのやら。

ごもっともと思っても、違う意見を聞くとそうかもって思うし、どれも違う気もしてしまう。


もう答えは出ないのに、どうしたって誰も納得できないと思う。


ターゲットを変えて、攻めても解決にもならない。


まあ、その場で意見が言えてない人たちの意見は違うと思うよ。とぐらいしか。


誰かを悪者にしなければならないわけではないのに、やっている事が意味分からない。


誰のためにもなっていないよ。


ゴールが決められていないから、どんどん道がそれているんだよね。


結局は、すごく前の事案をなるべく正確に掘り起こし、整理していくだけなのに。


すり替えが激しいなと思う今日このごろ。


難しい問題にしすぎるのもなあ。


私の意見なんぞ取り上げられないのだから考えてもしゃあないのかもね。

若干のやり過ぎ感がある気がします。

排除気質といいますか。

別の団体に関しては、そんなことしましたっけ。

それによって、だいぶ利益を得ているのですから、排除すれば無関係という考え方が良いとは思えません。

イメージがとか、言いますけど、当事者ではないんですよね。

所属してたらアウトと言うなら、世の中回らないです。

どこにもいられませんよ。

団体責任といういつぞやのモノが存在するならば、何も残らないのかもしれません。

その昔、ある事柄で当事者ではないのに一緒に〇力で捻じ伏せられました。

それと似ています。


ある会見を見ましたが、ニヤニヤ笑っている人がいました。いくらなんでもと思います。

どういう立場でも笑うことではないです。


昔のゴタゴタで、現在活躍している人に迷惑がかかっているこの状況。

何かを彷彿とさせこわいです。

直接関係のない人まで巻き込むことが解決につながるとは思えません。


やはり、若干のやり過ぎ感ありますよね。


しかし、やめてもらったとしてその代わりはなかなか見つからないと思うし、偉大な部分を思い知らされると思います。


これから答えが出るのです。


今後は、生きやすい世の中になるといいですね。