今どきは、許されないこともだいぶ前にはまかり通っていた。


時代が変わってしまえば許されると思っているのは、そして忘れているのは、最悪であれば武勇伝としているのは、最低にも正当化しているのは行動した本人だけである。


受けざるを得なかった者は、執念深いのではなくて、今は許されないと認定されているように、忘れるわけもなく傷つけられ心の大半を崩壊されたことはずっと残る。



当時は○○者として、様々なルール違反(今はそんな生温いものではない)をしているにも関わらず、それを隠し場所を変えて責任のあるところまでいき、〇〇を語り続けているあの人を許してはいない。


だいぶ時間をおいて、ある文章に行き当たり読んだが、疑問符しか浮かばない。心にもないのに言わないでいてくれ。


あの人から離れられた時に感謝はしていないどころか、爆笑できるぐらい嬉しかった。二度と会わなくて済むから。もちろん今後も会わないし、間接的にも接触しない。見かけ上はいない人だ。


ドラマで似たようなものがあったが、あれは生温いと思える。あちらはまだ、愛が感じられるから。


あの当時に戻れたら、あの人を断固拒否するし、〇〇の現場から離れるよう言う。あの時も言えたならと今も思う。


あの当時の感覚は間違っていなかった。あの人は〇〇者としては何も残せていないが、反面教師としてはなり立てているだろう。全部逆を行けば正解なので。


憎まれっ子世に憚るというが、ほんとだなと、子供の頃に思わせたあの人を私は許すことはない。