昨日8月29日に、

一昨日のKIN1の日に


私が「手放したこと」について、
改めて考えていました。


私は、元夫のことを
もう許せませんでした。

どうしても、許すことができなかった。


けれど、
本当に私が許せずにいたのは、
元夫だけではなかったのだと思います。


私はずっと、

「もう少し、私がきちんと我慢できていたら」
「子どもたち二人から、実の父親を引き離さずに済んだのではないか」

そんなふうに、自分を責めていました。


もちろん、
我慢を続けたからといって、
それが子どもたちにとって
良い結果につながったとは限らない。


むしろ、そうではなかった可能性も
十分に分かっています。


それでも私は、

我慢できなかった自分を、
離婚に踏み切った自分を、

ずっと許せずにいました。


子どもたちに対しても、
どこか申し訳なさのような、
引け目のようなものを抱えていました。


そして今日、もうひとつ気づきました。


私は、
そんな自分自身を許せなかった。


そしてさらに、

「自分を許したいのに、許せない自分」

その自分のことまで、
赦せずにいたのだと思います。


許せない相手がいて、
赦せない自分がいて、
その自分を許せない自分までいた。


何重にも重なっていたものが、
ようやく見えたような気がしました。


これは、私にとって
とても大きな気づきでした。


余談ですが。

そのことに気づいたとき、
私はヒーリングミュージックを聴いていました。


ふとスマホの画面に目をやると、
曲のタイトルに


「Lotus」


という言葉が入っていました。




ロータス。


蓮。


濁った泥の中から咲く花。


泥をなかったことにするのでもなく、
泥から逃げるのでもなく、


その中から、
凛と、美しく咲く花。


その姿が、
ふっと頭に浮かびました。


理由も分からないまま、

「……参ったな」と思いました🪷


そして、そのすぐあと。

もうひとつ、大切なことに気づきました。


私が、
「我慢するべきだ」と考えていた『正しさ』を


もし貫いていたら、

いま、この身体から感じている『温かさ』は、

もうなかったのかもしれない。


これが、今回受け取ったギフト。


『ここに在る』