ひでです。今日でナポレオンを終わります。ご清聴ありがとうございました。笑

 

*先ずはからです。

 

ナポレオンはフランス革命の時流に乗って皇帝にまで上り詰めましたが、一連のナポレオン戦争では約200万人の命が失われたといいます。その大きな人命の喪失とナポレオン自身の非人道さから国内外からも「コルシカの悪魔」と云われています。

 

ナポレオン戦争以後、フランスの生産年齢人口は伸び悩み、国力でイギリスやドイツなどに抜かれることとなりました。フランスで復古王政が成立した時、フランス軍は人員のおびただしい喪失への反省から、フランス人ではなく多国籍の外国人から兵士を採用するフランス外人部隊が創設されることになりました。

 

ナポレオンの後に即位したルイ18世は、ナポレオン以前の状態にフランスを戻そうとしましたが、ナポレオンによってもたらされた自由、平等の精神はフランスに深く浸透しており、もはや覆すことはできませんでした。フランス革命の理念が国内にとどまらず、欧州各国へ飛び火して行きました。

 

遺骸がフランスに返還されたことで、ナポレオンの栄光を慕う感情が、フランス第二帝政を生み出すことになるのです。

 

*続いてです。

 

ナポレオンが用い、広めた色々な制度はその後のヨーロッパにおいて共通のものとなり、かつて古代ローマの制度が各国に広がって行ったこと以上の影響を世界に与えました。

 

その代表がナポレオン法典です。近代的法典の基礎とされ、修正を加えながらオランダ・ポルトガルや日本などの現在の民法に影響を与えています。フランスにおいては今でもナポレオン法典が現行法であり、そのほかの国の中でも、今でも民法にナポレオン法典を用いている所もあります。

 

軍事的にはナポレオンの軍隊は近代的軍隊の基礎となりました。特に、兵站を重視することに重点を置いていたんですが、ロシア遠征ではそうなっていません。如何に追い詰められていたかということでしょう。旧日本軍のインパール作戦を思い出します。

 

この時、軍用食の開発のために効率的な食料の保存方法で発明されたのが「瓶詰」で、ここで発明された「密封後に加熱殺菌」という考えが、当時は手間の関係で流行りませんでしたが、後に「缶詰」などの保存食の大発展へと繋がっていきます。

 

また、道路の右側通行がヨーロッパ全土に普及したのもこの頃です。ちなみに、イギリスは占領されなかったので左側通行のままなんです。政治においてもフランス革命の理念である自由、平等、博愛がナポレオン戦争によって各国に輸出されました。

 

ナポレオンは、各地で領主の支配や農奴制を打破し、憲法と議会をおき、フランス式の行政や司法の制度それに民法を移植していきました。そして、ヨーロッパ中に新しい政治勢力が芽吹いて行くことにつながっていきました。

 

こうしてみれば、罪より功が多いような気がしますが、戦いでは何も解決しないといったところでしょうか。

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