母からの条件付けとさよならする〈2〉 | 【ゆみあ式】自分解体新書のススメ

母からの条件付けとさよならする〈2〉


 

マニフェスターっていうのは

自己犠牲の天才です。

(ノットセルフパターン)

 

さらに輪をかけて母のインカネーションクロスは

15なんですよね・・・。

 

ずっと4/6のライトアングルかと思ってましたが

夜の時間だと5/1のレフトアングルになることが

わかりまして、5/1だな、と・・・。

 

15っていうのは愛の最骨頂人類愛のゲートで

自己犠牲を厭わず他を愛しなさいという

エネルギーなんですよね・・・。

 

この自己犠牲の条件付けは前々から

気づいていてはずすことを

努力してきたわけですけども

まだまだ出てきますね〜〜〜滝汗

 

自己犠牲するだけして耐えきれなくなると

母は突然キレ始めて感情を爆発させてました。

 

「なんでわたしばっかり〜〜」

「どうせわたしのことなんでどーでもいーんでしょ〜」

 

そして過去のあることないことを

ぶちまけはじめるというパターン・・・。

 

子供ながら「子供みたいにアホちゃうか?」と

冷ややかな目でいつもみてる自分がいました・・・。

 

わたしは子供の時から理路整然とマインドが

理由を求めるものですからその答えを

納得のできる答えを受け取れるまで納得しないタイプで

こんな支離滅裂な屁理屈はないわ・・・と

馬鹿にしてた感じでした・・・。

 

あとこの母の破壊行動の後の虚しさが

とても嫌でした・・・。

 

なんでこんな虚しくなることを

わざわざやるんだろう・・・と

またまた馬鹿にしてる感じでした・・・。

 

15ていうのはまあバランスとりにくいんですよね。

 

わたしはヒューマンデザインを学ぶことで

母を正しく知ることができましたね。

 

母を理解するために学んだのかもしれないな

とも思えるほどに・・・。

 

そうでなければ、母に対して失望と絶望しか

なかったかもしれないし

そんな母から生まれてきた自分のことを

忌み嫌うか、それは嫌だから反発して

母を蔑んでいたかもしれません・・・。

 

母は2年前の11月に他界しましたが

わたしが最後に会ったのは9月頃で

その時も妹の旦那さんの実家の悪口を

延々聞かされて疲弊して帰りましたし

最後に電話があったのがその後だったのですが

なんか寂しいとかかまってちゃん大爆発やなと

もう絶対実家になんて帰ってやらんし

1年に1回会えればそれで十分やしと

思っていたわたしはイライラして

 

「もーほんまうっさいねん!

 そんなに可愛がってほしけりゃ

 もっとかわいい年寄りになっとけや!

 そんなに寂しくてちやほやしてほしいなら

 お爺にでもよしよししてもらえや!!!」

 

と言い放ってました。

 

母は「もういい。」と言って電話を

切ったんですね。

 

それが最期の会話です(笑)。

 

多分母は自分の最期を予感していて

わたしに話をしたかったのでしょうね。

 

昔わたしが自分の不幸はあんたのせいだと

そして謝れ!と詰め寄ったとがあったんですが

(これは恋愛があまりにうまくいかないことに対して)

その時の母は10−20のチャネル全開で

誇り高く胸を張って

「私が謝るのは死ぬ直前やな」と言い放ちました。

 

はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?

 

なんやコイツムキームキームキー

 

自分が悪いと思ったらごめんさないするって

3歳の子供でもやることやんか。

ほんまなんでもかんでも

自分の思い通りに結末をねじ曲げやがって

コイツの思いどおりになんて絶対したらんからな〜〜

とこの時わたしは自分に誓いました。

 

だから母が私にもしかしたら謝りたかったのかも

と思うのですがそうは絶対させたらんねんパンチ!

という思いがわたしにはあったので

でもそれも、たまに会いに行った時にもう少し

かわいい婆さんであれば違ってたでしょうけど

相変わらず会話をもとめず母の独り舞台の

身近な人の悪口トークを聞かせられるという

この時間は一体なんだったのだ?と

「だってそうだろはてなマーク

 そんなん普通するかはてなマーク

 おかしいやろはてなマーク」(私は正しい)

 

これしか話がなくしかも会話は成立せず

こっちが話したくても全部もっていかれるし

もっていかれないように私は全身全霊のエネルギーを

全集中して反発するしかないという

疲れんねん・・・ゲッソリ

 

普通は実家っていうのは心のよりどころなんじゃないかと

疲れた時に帰ったらお母さんの手料理で癒されて

また明日らか頑張ろーと思えるようなそんな場所では

なかったかと思うのですけど全くそんな場所ではなく

戦いの場でしかなかったんですよね(苦笑)。

 

そして母はわたしが言い放った通り

爺さんによしよししてもらいに逝きました。

 

母は両親が40すぎてから生まれた初めての子供で

3つ下に弟がいましたが、弟(叔父)は

お婆に過保護にされ、母はお爺に過保護にされて

いたようでファザコンでした。

 

爺ちゃんに可愛がられたことをずっとずっと

大事にしていてなにかあれば爺ちゃんなら

こういう、とか爺ちゃんならというのを

よくやってました・・・。

 

母が逝った11月23日は爺ちゃんが

逝った日でもあり同じ命日になりました。

 

わたしは「自分の思い通りになってよかったやん」

と思いました。

 

この母との最期にわたしは後悔を

どうやら持っていたという思いが

身体にあることが

スリーインワンで出てきましたね。

 

わたしの頭脳意識は非常にクリアで

先鋭的なんでそこは意識ではクリアしてたのに

身体はけっこう情が深くて

可哀想なものをほっておけないという

そういう特製があるようで

すべてその可哀想やったかなという

同情心みたいなものが身体に残っていて

そこを統合していくセッションになってました・・・。

 

最終的に母との過去生で夫婦だった時の

ビジョンが出てきて

シャスタのような川で

当時夫婦だった夫(母)は

ネイティブアメリカンのナバホ族の周長で

非常に独裁的にリーダーシップをとって

他の属と戦ってたくさんの仲間を

亡くしたようでした。

 

そのことについても反省はなく

私はこれでよかったと胸をはり

威厳を保つ表情で人をよせつけず

人の話を聞かず独りでパイプをくゆらす。

 

その夫に妻の私が

 

「あなたのその言動を変えない限り

 そして他者からの声に耳をかさないかぎり

 あなた自身の成長はありませんよ。

 あなたが今後成長したいなら

 そこを改めて改心してやりなおしなさい。」

 

と告げたんです。

 

まるでこの役割は早秋津姫そのものだな〜と

思いながら・・・。

 

その時の母の選択は

もう人間に生まれ変わることを拒否しました。

そして虫になりました。

 

こおろぎのような虫に。

 

母はこれ以上の成長を望まなかった。

人間に失望しつくしていました。

そして自然に帰りたいという魂の要求で

虫を選んだということなのでしょう・・・。

 

最後に

母がどんな道を選ぶのかは母の自由であるけど

私は絶望したかといって諦めて

退くような道は選ばない。

どんな時も絶望の時も光をみいだして

生きていきたい、と思いました。

 

これこそが霊性への道ですし

母の存在は私の霊性を開くための

礎を築くための反面教師として

いてくれたんだな〜と思うと

感謝でしかありません。

 

でも普通の仲良し親子みたいな

関係には憧れますけど

そうじゃない親子関係って

あるんですよね。

 

霊的な関係までみていくと

表面的には仲が悪かったり

いろいろトラブルや問題があったとしても

ちゃんと選んで生まれてきてますから

そこにちゃんと意味があります。

 

今回のセッションでやって

母とお別れすることが

できたんだな〜と感無量ラブ

 

長文読んでいただいて

ありがとうございました。

 

普段は人にはこのような

感情を解放する仕事を

ヤングリビングのアロマを使って

やっていますけど

自分自身のことは

この痛みの中とてもとても

感情に向き合うことが

無理でした。

 

わたしがお世話になったのは

こちらです。

ダウン

 

 

 

私は私の活かし方を知ってるハズだ

 

 

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