現実の事実をありのままに受け止められない人の特徴
よく スピ系の人で ご都合主義的発想を
のたまわって 汚染していくのをみかけて
ものすごく不快感を覚えます。
キレイキレイマジックとでもいぃますか?
完全無菌室をつくっていきたぃ というコトですかね?
そうすれば 誰も何も 傷つかずにすむよーって?
そうすれば 平和だよーって?
正も負もありません。
善も悪もありません。
といぅよぅな 発想は 偽善そのものですね。
正は ありますし
負も ありますし
善も ありますし
悪も あります。
全部 ちゃんと 確実にあります。
ただ 負や悪を 抹殺するとか 消滅させるとか
負があるからダメなんだ とか
負をけしされば きっと上手くいくにちがいない とか
そういった発想が 間違っているだけですよね。
なんで 勘違いするんだろう?
もっと 霊性に(アレ 変換こーなった) 冷静に
ものごとを深く ただみつめることが なぜ出来ない?
それは 感情が邪魔するからですよね?
それこそ トラウマでできてる 負の感情が。
もっとクリアに 世界をみつめるために
視界を曇らせている 負の感情をお掃除するっていう発想は
とても自然なものではないかと 思います。
トラウマ感情あるから 自分はダメなんだって
必要以上に ダメ出しして 人生終わり感を醸し出す必要は
さらさらありませんけど より善く生きていくことのために
自分の傷をみつめてみるっていう 痛い思いの追体験に
チャレンジするっていうのは 尊いたましひの 営みでは
ないんでしょうかね?
私はそのように 思います。
そうやって 痛い思いをしたり 悲しい思いをしたり
そんな 負の感情を受け止めて 乗り越えていくことで
たましひは どんどん磨かれていって
苦しくて辛い といぅ状況でも 大丈夫な自分へと
鍛えられていくのですよね。
それこそが たましひの成長ではないんですか?
正も 負も ない なんて ご都合主義的に
偽善者的平和をぶちかます人の特徴は
自分のもってる 苦しみ哀しみ辛さを 追体験したくない
つまりは たましひの成長を止めてる
そして 他者にも それを強要する
ただの チキン野郎でしかありません。
自分がただ怖いから みたくないから
正当化してるだけのクセに エラソーなコト
ゆってんじゃねぇ!!!
チキン野郎は 地獄に落ちやがれ!
ふぁっくゆーーーーーーーーーー!!!!
感情は こうやって使うもんじゃね?
のたまわって 汚染していくのをみかけて
ものすごく不快感を覚えます。
キレイキレイマジックとでもいぃますか?
完全無菌室をつくっていきたぃ というコトですかね?
そうすれば 誰も何も 傷つかずにすむよーって?
そうすれば 平和だよーって?
正も負もありません。
善も悪もありません。
といぅよぅな 発想は 偽善そのものですね。
正は ありますし
負も ありますし
善も ありますし
悪も あります。
全部 ちゃんと 確実にあります。
ただ 負や悪を 抹殺するとか 消滅させるとか
負があるからダメなんだ とか
負をけしされば きっと上手くいくにちがいない とか
そういった発想が 間違っているだけですよね。
なんで 勘違いするんだろう?
もっと 霊性に(アレ 変換こーなった) 冷静に
ものごとを深く ただみつめることが なぜ出来ない?
それは 感情が邪魔するからですよね?
それこそ トラウマでできてる 負の感情が。
もっとクリアに 世界をみつめるために
視界を曇らせている 負の感情をお掃除するっていう発想は
とても自然なものではないかと 思います。
トラウマ感情あるから 自分はダメなんだって
必要以上に ダメ出しして 人生終わり感を醸し出す必要は
さらさらありませんけど より善く生きていくことのために
自分の傷をみつめてみるっていう 痛い思いの追体験に
チャレンジするっていうのは 尊いたましひの 営みでは
ないんでしょうかね?
私はそのように 思います。
そうやって 痛い思いをしたり 悲しい思いをしたり
そんな 負の感情を受け止めて 乗り越えていくことで
たましひは どんどん磨かれていって
苦しくて辛い といぅ状況でも 大丈夫な自分へと
鍛えられていくのですよね。
それこそが たましひの成長ではないんですか?
正も 負も ない なんて ご都合主義的に
偽善者的平和をぶちかます人の特徴は
自分のもってる 苦しみ哀しみ辛さを 追体験したくない
つまりは たましひの成長を止めてる
そして 他者にも それを強要する
ただの チキン野郎でしかありません。
自分がただ怖いから みたくないから
正当化してるだけのクセに エラソーなコト
ゆってんじゃねぇ!!!
チキン野郎は 地獄に落ちやがれ!
ふぁっくゆーーーーーーーーーー!!!!
感情は こうやって使うもんじゃね?