抑圧と開放
抑圧的な生き方をするのも
開放的な生き方をするのも
どちらでも 自由。
たしかに 自由。
いつでも 自由。
だけども 最終最後 必ずおとづれる。
肉体からの開放が。
抑圧されたものは 自動処理はされない。
抑圧しなければならないと 考えてしまう
そのココロのしくみになっている 種。
ブロックともいう。
処世術マインドともいう。
機能的構造ともいう。
それらは いつでも 開放のチャンスを待っているのだ。
たしかに 日々
抑圧してきた 黒いエネルギーを 抑圧しつづけることは
可能である。
だけども 身体は 健康でいたいと メッセージするから
病はおこる。
そして 開放へと 開放へと 向かうのだ。
抑圧された感情。
抑圧された欲望。
抑圧された自分。
あのとき
わたしは
こうしたかったのだ!
抑圧された自分の本音。
開放してあげるのだ。
過去のことは もう 仕方ないのだ。
ただ 開放してあげればよいのだ。
そして 今後は 不自然な抑圧をやめることだ。
とりあぇず 今現在 邪魔にならないから・・・
といって 黄色いドラム缶に 放射性物質のゴミをつめるように
大海原なら 捨てても大丈夫・・・
といって 深海にゴミを沈めたとしても
たとえ 今の自分から 見えなかったとしても
不自然に隠された 自分の本音は
いつも どこかで 潜んでいて
見えないゴミに 日常のあれやこれが 共鳴する。
あのとき
わたしは
こうしたかったのだ!
時がたてばたつほどに 叫びは大きくなる。
自分に届かない 叫び。
届いてほしい 叫び。
どんなに 抑圧しても 最終最後は
開放に向かうことは 決まっているのだ。
だったら 無駄な時間をすごすのはやめて
開放すればよいだけの話なのである。
開放されてゆくと 日々 何も気にならなくなって
楽になるのだ。
そして 自分の中から エナジーがあふれてゆくのだ。
素敵なことだ。
素敵な日々だ。
とても簡単なことではないかと 思うのだ。
抵抗さえしなければ・・・。
抵抗は なぜ おこるのか?
次回。