理の世界と観の世界 | 【ゆみあ式】自分解体新書のススメ

理の世界と観の世界

なんとなく...。

私のクセで 断言しやすぃといぅのがあるのだけど。
そぅいぇば なんでそんなコト 断言できんねん!
みたぃなコト 昔から たまにいわれてきたのだったな。

誕生日前の満月なのだけど いろいろ考えてしまぅ今日このごろ。

断言できるのは 確信があるから。



理の世界と 観の世界ていぅのが
あるのじゃなぃかと 思ったのだった。

私はこどもの時から とにかくも 限定されることに
ものすごぃ抵抗をしめしていたな。

親とか大人っていぅのは 自分の考えで 
こどもである私個人を 限定して(したがって) 
決めつけるのだよ。

その限定の仕方は 個人の主観でしかなくて
それ 私の感じてることと全然違うんですけど?
と思ったところで こどものハナシなど 聞く耳なぃのだ
大人ってヤツは。

そして今でも 個人の主観で限定されることに
抵抗がめちゃある。

ただ 個人の主観でも 自分の主観と合う場合は別だけど。
あたりまぇかな。



で 自分の中で 自分の主観は絶対なのだけど 他者の主観は
勝手な判断としか思えないことが とても多い。

じゃぁ 私ってめちゃ自己中やん?ってハナシ。

で たまに大丈夫な 他者の主観っていぅのを検討してみると

その人の個人的感情の入った感情で判断した物事をベースにした主観
その人が体験を通して感じ取った背景的な物事をベースにした主観

2種類あると思った。

そして 私は 個人的感情の入った感情で限定されることが
大嫌いだし 大の苦手だといぅことも わかった。

やめてくださぃ。
さわらなぃでくださぃ。

くらぃに イヤだし 無理だし 受け付けられなぃ たくなぃ。
てとこですわ~。

だから恋愛も むつかしぃのだろぅねぇ...。



で 限定の仕方っていぅのが 
理の世界と 観の世界とでは ちがうと思う。

理の世界での限定っていぅのは 信じるがベースで
多角的に検証して 信じて大丈夫といぅベースをつくってから
確信する。

観の世界での限定っていぅのは わかるがベースで
感じるわかるが絶対なので それ以外をうけつけられなぃ。
もぅ決まっているから わかる イコール 確信。
確信がある。

普段の自分が 
理の世界ベースなのか 観の世界ベースなのかで
世界は逆転するくらぃに ちがう世界なのだと想像もされる...。



私は まぎれもなく
観の世界の住人なのであーる...。