New York. December 2007


「もう、辞めます!


明日、日本に帰ります!


お世話になりました!」



-----また始まった。これで3度目だ。


-----こいつ、“主任”とう立場がなんなのか全く理解していない。



New Yorkのお店のマネージャーの後任に
日本から連れてきた男がとんでもなくヒッピーな男だった。


なにか都合の悪いことが起こると「辞める」という言葉で
我々を脅迫し、駆け引きをしはじめる。


「ぼくが居なくなったら、みんな辞めますよ!」



-----はぁ、どこまでもご機嫌なガキだ。



このままではみんなで作り上げたお店が、

たったひとりのガキのために沈んでしまう。


とんでもないガキを連れてきたもんだ。


自分自身の人を見る目のなさに呆れている。


1月に日本に戻り癌の再検査を行う予定だったが、これじゃとてもじゃないが無理だ。


ひとりの身体じゃないのはわかっている。


誰にもいえない苦悩と戦っている。


脈拍が100を超える日もざらではなくなった。




翌日、朝目覚めると鼻から大量の血が流れ出し、
真っ白なシーツとTシャツが真っ赤に染まっていた・・・。


New York. November 2007


「『3年です』ってっ!あなたは何をしてるんですかっ!


もう、手遅れかもしれませんよっ!


至急帰国の準備をっ!」



ここ数日、高熱が続き、行った病院のパキスタン医師に
正直に話したら激しく叱られた。



「ヒミさんはすい臓癌のことをわかっていないっ!


だいたい、日本の医者もなにをやってるんだ!


もう、今日の診察費はいりません!


いいですか、もう一度いいます!


至急、帰国の準備をっ!」



-------あれから3年かぁ。



ニューヨークにレストランをオープンしたはいいが、
自分の体の現実をみたくない自分が居た。


人前ではポーカーフェイスを装っているが、
体が思う様に言うことを聞いてくれない。


どこまで自分が進んでいけるのだろう。


最近の自分との戦いは、
自分では見ることのできないこの恐怖だった・・・。

Japan. August 2004


「ご家族やご親戚の方はいらっしゃいますか?」



「・・・いえ、父も母も他界し、家族もおりません。」
(正確には母は男を作って逃げて行き、
父親には勘当されて16年間会っていないのだ)



「そうですか、




実は、癌の疑いがあります」




・・・!?




「膵臓(すいぞう)癌です」




34歳の誕生日プレゼントに友人から頂いた人間ドックご招待券で、
まさかこんな結果が出ようとは。



「まだ薄っすらとした“影”ですが、これが形になった時の
進行はかなり早まります」



早期発見が非常に困難な上に進行が早く、きわめて予後が悪い。
このことから「癌の王様」と言われているらしい。



「膵臓癌の生存率は3%、
極めて手術の困難な腫瘍です。



ただ、今は影の段階ですし、ここできちんと見ることは不可能です。
総合病院にて急いで再検査を・・・、



ヒミさん、



ヒミさんっ!



聞いてますかっ!?」







気がつけば、愛車のベンツ320で行く当てもなくただ走り続けていた。
「人生」って・・・そして、「生きる」っていったいなんなんだろう。



完全に生きる気力をなくしていた。



その夜、住んでいる高層マンションに戻り、タンカレージンを
ロックグラスに山盛りに注ぎ、それを一気に飲み干した。


パノラマのウィンドウから照らされるビルの街並みが滲んで観えた。



いつしか涙が頬を濡らしていた。



窓辺に近づくと、今にも外に吸い込まれそうな現象に陥り、
30畳もある広いリビングの端でひとり膝を抱え震えていた。



今命を落とすのと、あとで消えていく命と、
いったい何が違うというのだろう。



この目の前の「事実」を消し去りたい。



おいらはボトルを全て空け終えるころ、床に這い蹲り、
そして深く眠っていた・・・。