前回は世界小動物獣医師会(WSAVA)が、犬と猫の不妊去勢手術に関するガイドラインを初めて発行したことをご紹介しました。今回は、手術後に女の子に発症リスクが上がると言われる病気の中で、悪性腫瘍、つまりガンに関する部分を日本語にしました。

 

皮膚に近い部分にできる"肥満細胞腫"

"肥満細胞"と言っても、太り過ぎの"肥満"とは関係ありません。英語ではmast cell(マスト細胞)と呼び、主にアレルギー反応に関連しているそうです。皮膚や皮下組織、内臓など体中に広く存在している細胞です。このガイドラインを読む限り、今わかっている限りでは、あまり不妊手術の影響は大きくない印象を受けます。

 


 

WSAVAガイドライン 5.1.1.2 肥満細胞腫
肥満細胞腫(MCT)は、主に真皮および皮下組織に発生する。ケースにより様々だが、極めて悪性度が高く転移しやすいものもある。イヌでは症例が多く、168,636頭のデータを評価した研究では0.24~0.29%の発生率と算出されている。また、すべての皮膚腫瘍におけるMCTの発生率は10~21%である。
 
ローデシアン・リッジバック、ゴールデン・レトリーバー、ラブラドール・レトリーバー、ボクサー、パグ、マジャール・ビズラ、ジャーマン・シェパードに多い傾向も報告されている。体重によっても差があり、20~30kgの犬は10kg未満の犬と比較してリスクが2.6倍とする研究もある。

ハンガリー原産のマジャール・ヴィズラ

 

腫瘍発生に関与するもう一つの因子は年齢である。様々な研究において、7歳を超えるイヌに発生率の有意な増加が認められた。
 
MCTの発症に生殖ホルモンの関与を主張する意見もあるが、議論が必要である。不妊去勢手術を受けたイヌよりも、未処置の場合にリスクが高いとする研究もある一方で、その逆を示す研究もある。性腺摘出後のメスに、オスよりも発症リスクが高いとする報告もある。
 
メスでは、12ヵ月齢以上になってから不妊手術を受けた場合、それ以前に手術を受けた個体よりもMCTの発生率が高いとする報告がある。これは、性腺摘出後に生じるLH(黄体形成ホルモン;詳細は第1回参照)濃度の上昇が影響しているのではないかと考えられている。

 

最近の別の研究では、腫瘍細胞の中にLHレセプター(LHR)(※1)が発現していることが確認された。また、不妊手術済のイヌに発生したMCTの中には、手術を受けていないイヌに発生したMCTよりも、多くのLHRが見つかっている。

 

※1 LHR:黄体形成ホルモン(LH)と結合することで、性ホルモンの産生や生殖機能を調整する受容体。メスでは卵胞の成熟と排卵および黄体形成を、オスではテストステロンの合成と精子形成を促進

 

MCTの病因に関しては多因子性(筆者追記:原因が色々あること)が示唆されており、高齢で体重の重い犬や特定の犬種ではリスクが高く、性ホルモンの剥奪(筆者追記:性腺の摘出)もその一因とされる。しかし、LHRシグナルがMCT発症に及ぼす影響については、まだ明らかにされていない。

おしっこに関係する場所の移行上皮癌

移行上皮癌は、膀胱や尿道など、おしっこが関係する組織をつくっている「移行上皮(尿路上皮とも呼ばれる)」という部分に発生します。ガイドラインを読むと、MCTよりは不妊手術の影響が疑われている印象を受けます。転移する傾向がある怖い癌のようです。

 


 

WSAVAガイドライン 5.1.1.2|移行上皮細胞癌
移行上皮細胞癌(TCC)は上皮性の悪性腫瘍で、犬の下部尿路の最も一般的な腫瘍である。イヌではすべてのガンの1.5~2%を占める。多くは6歳を超えて発症し、ある研究では診断時の年齢中央値は11歳であった。

 

性腺の摘出は腫瘍発生のリスクを高めるとする研究がある。不妊手術を受けたイヌでは、未処置の個体よりも膀胱のTCCを発症するリスクが高いことが報告されている。またある研究では、1.7対1でメスに多く発症していると報告されているが、雌雄差に関してははっきりしていない。

 

浸潤性増殖の場合、尿道(56%)および前立腺(29%;オスの場合)が侵されることがある。リンパ節転移および遠隔転移(肺、肝臓、腎臓、脾臓、子宮、腸、脊椎)は、診断時に10~20%、剖検時に49%にみられる。

 

不妊手術以外の要因として考えられるのは、局所用殺虫剤(筆者追記:外用の殺虫剤が皮膚から吸収されTCCのリスクを高める)、肥満、シクロホスファミド(筆者追記:がん治療や免疫の抑制に使用される化学療法薬によるリスクが報告されている)、メスであること、犬種(スコティッシュ・テリア)などが考えられる。

骨にできるガン 骨肉腫

不妊手術による性ホルモンの変化が骨肉腫を発症する要因の1つとして考えられています。特に早いタイミングで行った場合にリスクが高いという報告もあるようです。また、大型犬のオスに骨肉腫が多い傾向が見られるとする研究もあります。いずれにしても、特に早い時期の不妊去勢手術はリスク要因の1つとして認識されているようです。

 


 

WSAVAガイドライン 5.1.1.3|骨肉腫:
骨肉腫は未成熟な間葉系細胞(※2)が変化して生じる悪性腫瘍である。イヌでは品種、体の大きさ、体重および性ホルモンが骨肉腫の発生に非常に大きな影響を与えると考えられている。大型犬に多いが、発生率はラブラドール・レトリーバーの0.2%からアイリッシュ・ウルフハウンドの8.9%まで様々である。アイリッシュ・ウルフハウンド、セント・バーナード、ロットワイラー、グレート・デーン、ローデシアン・リッジバック、レオンベルガーが最も罹患率が高く、オスはメスよりもリスクが高い。

 

※2:骨や筋肉などに分化する細胞がガン化すると骨肉腫となる

 

骨肉腫のリスクは年齢、犬種の体重、体高とともに増加するようである。生殖腺摘出が大型犬種のオス・メス両方で骨肉腫のリスクを増加させるといういくつかのエビデンスが存在する。性腺を摘出したイヌは未処置の個体に比べ、発症リスクが2倍だとする報告もある。
 
そのほか、ロットワイラーでは生殖腺摘出時の年齢が骨肉腫の発生頻度に影響することが示されている。生涯における性ホルモンへの曝露が最も短い個体は、骨肉腫の発生率が最も高かったとする研究がある。生後1年以前に生殖腺を摘出されたオスおよびメスは、骨肉腫の発生リスクが非常に高いとする報告もある。
 
生殖腺摘出時の年齢が及ぼす影響については、ロットワイラー以外の犬種では十分に調査されていない。純血種と雑種を対象としたあるレトロスペクティブな研究では、発生率との関連は認められなかった。

血液やリンパにできるリンパ腫

リンパ腫は特定の犬種に多く、特に幼い頃に不妊手術を受けたメスに発症率が高くなる可能性があるとされています。ガンに罹ったゴールデン・レトリーバー(メス)を調査した研究では、生後6か月から11か月までに不妊手術を受けた子にリンパ腫が多かったという研究もあるそうです。

 


 

WSAVAガイドライン 5.1.1.4|リンパ腫:
リンパ腫はリンパ系の腫瘍で、血液腫瘍とリンパ腫瘍の両方を含む。イヌにおける有病率は研究ごと、および犬種間でばらつきがあり0.02~0.1%と報告されている。オーストラリアン・シェパードとゴールデン・レトリーバーはリスクが高いとされている。

 

あるレトロスペクティブな研究では、性腺摘出により30犬種でリンパ腫のリスクが増加すると報告している。特にメスにリスクが増えることが示された。別の様々な研究でも、性腺を摘出したメスでは、未処置のメスよりもリンパ腫発症のオッズ比が高いことが判明した。
 
マジャール・ビズラを対象にした研究でも、性腺を摘出したメスではリンパ腫発症の相対リスクが未処置の個体よりも4.3倍高かったと示されている。一方で、ラブラドール・レトリーバーやジャーマン・シェパードでは、性腺摘出がゴールデンやビズラほどリンパ腫を含むガンの発生に影響を与えないようである。
 
性腺摘出とリンパ腫の関係については、性腺摘出後の長期にわたる血清LH濃度の上昇が及ぼす影響について調査が行われている。ある研究では、LHRの発現がリンパ節、循環リンパ球、T細胞リンパ腫細胞株で認められた。リンパ腫を発症したリンパ節では、発症していないリンパ節に比べ LHRの発現が有意に高く、LHR陽性の T リンパ球は未処置のイヌよりも性腺摘出犬から多く検出された。LH 刺激はリンパ腫細胞の増殖を非常(significantly)に増加させたとする研究も存在する。
 
ゴールデンでは、性腺摘出の実施年齢が追加的な影響を与えると仮定された。生後6か月未満から11か月までに不妊手術を施されたメス犬ではリンパ腫が主なガンであり、そのリスクは未処置のメスに比べて有意に高いと報告されている。リンパ腫は特定の犬種に多く、性腺摘出、特に幼齢期に不妊手術を受けたメスでは発症率が高くなる可能性がある。

血管にできるガン

血管は体中に張り巡らされているため、「血管肉腫」はどこにでもできる可能性があるガンです。一部では遺伝の影響が確認されているようですが、ガイドラインでは「おそらく性腺摘出と関連があると考えられる」と、比較的確定的な表現が使われています。

 


 

WSAVAガイドライン 5.1.1.5|血管肉腫:
血管肉腫は多能性骨髄前駆細胞から発生する悪性腫瘍であり、発生部位は臓器と非臓器に分けられる。イヌでは、非皮膚原発悪性腫瘍の5%、脾臓腫瘍 (splenic tumour) の約50%に血管肉腫の発生が報告されている。悪性の内臓腫瘍では転移が頻繁にみられ、肝臓、腹膜、腸間膜、肺および脳に急速に広がる。
 
ジャーマン・シェパード、ゴールデン、ラブラドール、プードルがしばしば問題となるが、どの犬種でも発生する可能性がある。ある研究では、遺伝子型に基づく犬種のグループ分けにより、ジャーマン・シェパードにおける高い発生率が明らかになり、少なくとも一部の症例では遺伝の影響が強調された。この腫瘍は7歳以上の犬で多く診断され、皮膚の色が薄い(light skin)イヌや短毛犬種で発生頻度の増加が認められた。
 
ほとんどの研究において、血管肉腫は性腺を摘出したメスで未処置のメスよりも発生頻度が高いが、その発症機序(pathogenesis) については十分に研究されていない。ある研究では、不妊手術済のメスは相対リスクが5倍高く、別の研究では、性腺を摘出したビズラのメスは未処置のメスと比較して相対リスクが9.2倍と報告している。
 
ある研究グループは、市販されているイヌの脾臓血管肉腫細胞株で LHRの発現を認めた。(筆者追記:試験管内の実験で)LH による刺激を与えたところ、3 つの細胞株のうち 2 つで腫瘍の増殖率が有意に増加したと報告している。したがって、性腺摘出後のLHの増加はイヌの血管肉腫の発症に関与している可能性がある。

 

生後12ヵ月以上で性腺を摘出したメスは、未処置の個体や12ヵ月未満で性腺を摘出した個体よりも発症率が高かったことから、不妊手術時の年齢やエストロゲンの曝露期間が影響している可能性がある。血管肉腫の発症は性腺除去よりも年齢の影響が有意に大きいとする研究もあるが、おそらく性腺摘出とも関連があると考えられる。

 

WSAVAのガイドラインを含め、最新の獣医学は不妊去勢手術のデメリットを断言している訳ではありません。同時に、不妊去勢手術のメリットと言われていることも絶対的なものではないことも分かっています。今後ご紹介したいと思いますが、例えば「最初のヒートが来る前に不妊手術を受ければ乳腺腫瘍に罹るリスクがほぼゼロになる」というのも、英国の王立獣医科大学(RVC)が10年以上前(2012年)に否定的な論文を発表しています。

そんな中で大切なのは、現在わかっている不妊去勢手術の良い面での可能性(ベネフィット)と悪い面での可能性(リスク)両方を十分に理解することだと思います。エビデンスに基づいた最新の世界的な獣医学の考え方は、そうしたことをキチンと理解した上で、飼い主のライフスタイルや飼養方針、生活環境などを考慮しながら、不妊去勢手術の要否とタイミングを慎重に判断しましょうというのが、です。

次回は、不妊去勢手術のリスクとしてよく聞く尿失禁関節の病気について、その仕組みも含めてまとめたいと思います。特に関節系の疾患については既に十分な情報があり、あまり議論の必要はなさそうです