​微かな記憶……

なんとなくです。

記憶にある光景。

きっと親戚の家の地域だった。

叔母と従姉妹と母。

自動ドアの向こうに大きな靴箱。

そこを抜けていった先に

見たこともないほど大きな仏壇があった。

その仏壇の前に正座をして座らされた。

知らないお坊さん、おりんを叩く棒を

頭に乗せられた。

この日がきっと私の大変な宗教人生の始まりだったのだろう。

後から聞いた話では物心つく前に

入信させられたようだ。

私は今何かと耳につく

"宗教二世"

なのです(正確には三世)

なんの宗教かは言えません。。。

母の母、私の祖母の代から

母方の親戚はほぼ全員会員でした。

気がついた頃には

毎日仏壇に向かわされお経を覚えるよう言われる。

それはそれは退屈で正座している足も痛い。

日曜には地域の集まりに連れて行かれたり、子供だけの集まりに行かされていた。

悪口は言ったらバチがあたる、足を向けてはいけない、お祭りには参加してはいけない、神社仏閣を拝んではいけない。。。

様々な制約をつけられた苦しい幼少期だった。

当然、修学旅行の京都奈良ではお寺で拝むなときつく言われていた。


でも私は小学生の頃からだったと思う。

これが嫌で嫌で仕方なかった。

集まりも嫌、お経も嫌、一番嫌だったのは人がやれることができないのが嫌。

でも嫌と言えない環境。

親戚全部が信者なのです。

親だけではなく、叔母、叔父、従姉妹にまで言われる。ちゃんとやらないといけないと。

父は信者ではなかった。

でも守ってはくれない、いや、守れないのです。

母と戦わない人。

弱いからではなく争いから逃げていたのです。

そして前にも書きましたが

父は家からも逃げていくのです。。。


なので私の生活は母親の意見が全てになっていくのです。当然のように。

とても苦しかった、嫌だった。

でも父のいない家で母に逆らえるはずもなく

ただただ、ちゃんと信じてるフリを続けて生きてきたのです。

でも本当に違和感しかなかった。

教祖の言うことを大勢の大人が全員言うことを聞く。上着を脱ぎなさいと言えば脱ぐ、座りなさいと言えば座る、面白くない話でも笑う。



ここからはこの宗教の話も度々出てきます。

それほど私の人生の中に当たり前のようにあったからです。


結果を話すと、母が亡くなった今はもう関わってはいません。正確には脱退はしてないけど活動はしてないって状態です。

近く正式に脱退する予定です。

やっと。。。。