例えば、「家族」というご縁は、とても大切な鏡であり、素晴らしい魂のサポーターでもあります。
でも一番近く、身近であるがゆえに、見えなくなることもあるでしょうし、ぶつかりあう事もあり、
一番我慢ならない関係にこすれてしまう事があります。
でもそれでも、私たちは互いの為にそこにいます。
魂は互いに助けあっているのです。
例えば、ルーズで適当なところがある魂さんは、すぐそばに几帳面で何でも干渉する魂さんをそばにおいていたりします。
合わないのに、このお二人が家族や身近な人として、関わる運命を選択していることがあります。
それは互いのハイヤーセルフが、助け合うあたたかさを信頼しているからであり、生まれる前の優しさを実行している姿でもあります。
魂は、進化したかったからです。
自分の次元を上げたかったし、おそらくそれまでの様々な時間軸の中で、繰り返してきた越えられない心癖を、越えてシフトしていくきっかけが、互いの中にあるから関わり続けているのです。
ぶつかりあっていても、互いのハイヤーセルフは、つながりあい、和合しています。
お互いがそこにいてくれるのは、愛です。
こすれあっていても、愛。
それに気づいた時、シフトします。
例えば、ルーズさんは適当でいいやと散漫にしてしまうエネルギーを、「注意をはらい、整理整頓して、大切な目的から目をはなさないよう、散漫にし始めたら思いださせてくれる人をそばにおきます。
だから、それまでと同じ意識の垣根の中でカルマでくるくるし始めて、このままでいいやとぬるま湯に入り始めた時、
几帳面さんに「かたずけなさい」と叱られたりします(笑)
嫌みをいわれたり、うるさく言われてしまう。
そうすると我慢ならない感覚がこすれてしまいますが、この時、魂は目覚めるきっかけを得ています。
改めて自分の資質にふりむいて、適当にしていた事の中で、適当にしていい事と思いやりをもち、愛に近づいていく為に適当にしてはいけなかったこととの、違いを学ぶきっかけを受けとります。
また、几帳面さんはやっと掃除したのに、また出しっぱなしにして、散らかして、約束やぶって!と、相手のルーズさが我慢ならないストレスを感じて、いつも怒ってしまうけど、
こちらの魂は整理整頓の才能はステキだけれど、それでも自分以外のエネルギーにも寛容となり、ゆるし、怒りではなくコミュニケートしようとする愛を学ぶきっかけを得ています。
さらに、様々なパラレルの中で、いろんな自分を思いだし、ゆるし、違う側面の自分自身のエネルギーを回収している時間でもあります。
どういう事かというと、
かかわり合うという事は、相手は自分の別な側面を映し出す鏡であるという事です。
つまり、ルーズさんはかつて生真面目で、几帳面すぎる生を生きていた時間軸があり、その時の自分がいきすぎて苦しかったから、その時代の自分のあり方を否定していたのです。
だから、生真面目な側面を否定し、避けて、今回はルーズに適当になった。
だけどシフトするには、几帳面で生真面目な自分の一部をゆるし、バランスをとって、統合する愛が必要で、
その時の自分のエネルギーを回収し、あたたかく受け入れてあげて、学び、バランスをとる必要があります。
だから、その受け入れられていない自分の側面を映す人をそばにおくのです。
自分の魂の目的を忘れない為に。
宇宙は完璧で、いのちのシステムも素晴らしく完璧で、一ミリのズレもなく、シフトに必要なものや人が絶妙なタイミングでそこにあり、かかわり合います。
几帳面さんも同じです。
互いの魂を映す、自分の一部をゆるし、バランスをとり、統合して次元を上げる扉がそこにあるのです。
互いがシフトするのに、どうしてもクリアしなくてはならない大切な気づきや統合を助けあっています。
ハイヤーセルフにとっては、互いの気づきが生まれ、成長する「接点」に、魂の鏡として私たちは出会うのです。
すべての人間関係は、拡大した自分の側面を映し、愛する為にそこにあります。
それに気づき、受容した時、
こすれは消えて、自由になり、
関係もシフトして、優しくなっていくのですね。
すべて、愛する為に出会うのです。
相手の魂は、今の自分の別な側面なのです。