否定すればする程、

そのもの、その状況は、



まるで強力な静電気みたいに
あなたにくっついてきます。



逃げれば 逃げる程、
どこまでも、追いかけられます。




例えば、心の中で誰かを責めて、
戦っていればいる程、

その人だけではない、


人生のあちこちから
何故か挑まれてしまう。




大小あれど、
「戦う」「挑む」「競争心」が、
自分に向かって
打ち寄せてくるでしょう。




優越感を握っていれば、
競争心に追いかけられます。



思いもよらない方から
ライバル視されてしまったり、


自分が買おうとした最後の一点を
横取りされたり(笑)



駅ですれ違う知らない人すらが、
あなたを追い越そうと
競争心を燃やしてくる事に
気づくでしょう。





私たちが、


「自分を知らなければ」

「自分が見えていなければ」

「自分の中からどんなエネルギーが
放たれているのかを知らなければ」




「どうしてこの人は、対抗心を
燃やしてくるのだろう?

「こんな道を歩くくらいで?」

「商品は他にもあるのに??
何で私のところから奪うのだろう?」


「変な方だなあ?」と、



私は何もしていないのに、
他の人の方から勝手に
対抗心を燃やしてくると
見えるでしょう。


だけど、それは


本当はサインで。


自由への招待状なのです。



今、このお姿が
私の人生に現れるのは、


「わたし」を映しているんだ、と。




例えば、駅ですれ違う人には
何もしていないと思っても



自分の心の中をよーく見てみると
対抗心の元となる波動が
見つかる事があるのです。



表面的な心には、
「戦い」「対抗心」と名付ける
ラベルははがしてあるけれど、



心の奥でひっそりと、


自分すら気づかない程
さりげなく、


例えば、

「ともだち」と呼ぶ人や
一見仲良くおつきあいしているお人より




心で、自分を
「上」に置いている事に
気づく事があるでしょう。


「あの人よりは私はマシ」
「私ならそれはしないなあ」と
冷ややかなエネルギーを
実は向けていたりして、
優越感を感じていたりして・・。



又、家族に対してさえも

「普通はこうするものなのに、
だからダメなんだよ」と、
家族より自分は知っているんだという

優越波動の、
固くてせまい場所に
自分を置いていたりします。




その場所は、
競争心を引き寄せる場所なんです。

戦いに好かれる場所なんです。




言葉にしないエネルギーで、
自分の心が摩擦を起こして
戦っているから。



しつこいくらいに、
人生のあちこちから
挑まれて、
ひっぱられて、

ジャッジされてしまいます。





けれどその波動との直面は、

愛と調和へ向かう
幸せに向かう道を
教えてくれます。



そんな自分に気づいた時は
しみて泣けてくるけれど、



本当は、
最高に魂が光だしている時です。




どうか、優しくなる事を
あきらめてしまわないで。




だから尚、
だから、よりいっそう


あたたかく、あたたかく
優しくなって。


もっともっと
やわらかくなって。



本当のあなたの光に
近づいていきましょう。




これは私が
本物の優しさに近づいてゆく
チャンスなんだと、
気づいていましょう。




「優越感」の元は、
対抗心や競争心が成分です。



言葉になっていないけど
優しくない方に動いてた
自分の波動を見つけた時は、



ショックで、こわくて
たまらない程 情けなくなります。



だけど、



それは、すてきな情けなさです。



だって、そこから
本当に本物の、
優しさになっていけるから。



それを見つけて、


恥ずかしさに泣いた時から
本当の優しさは始まります。



その醜さと未熟さを、
ひきうけて、洗う勇気を持てた時

本当に本当に、魂は、



宇宙に叶う美しさと
麗しさを放ちます。








その時、光だす
類いまれな美しさ、

その麗しさを



聖母の光
女神の光というのです。




今、誰もが、自分の内に、
自らの力で、


女神の光を見いだす時です。