ある日、目覚めて、

体を起こしたら、頭が痛い事に気づきました。


その前の日まで、
ちょっと肉体を酷使してしまう環境だったのと、肌寒さからいきなり暑い気温へと
気候が移り変わった頃でしたから、


疲れが出たかなぁ?と、思いました。

それで、
自分で自分をマッサージしてあげたりしていましたが、

午前中ずっとその頭痛は消えませんでした。

それどころか、
どんどん強くなり、ズキズキ、ガンガン。


頭を動かす度に痛みが強まって、
ああ、目をあけているのも辛くなっちゃったと感じた時、



私は自然に目を閉じていました。


目を閉じようとしたのではなくて、

自然に目を閉じた、そんな感じ。


自分を楽にするには、
目を閉じればいいと、からだ自体が
知っていたみたいでした。



目を閉じて、神経が楽になると
自然に気が内側へと切り替わりました。


すると、
すっと痛みがらくになりました。


そこで、私は知るのです。


あ、私は
今瞑想がしたかったんだ。


内なる声を聞きたかったんだ。



その時間は、私は次にアポイトメントがあって、お人をお迎えする直前だったので、

いろいろやることがあり
通常の暮らしの中では、瞑想タイムでは、ない時間だったから、

意識もしていなかったのですが、


それは、外側の私の都合だけ。


宇宙とつながった「私」には、

もっと生命の勘としての今があるんですね。


私たちは、知らず知らず思っています。


忙しい時は、内なる声はあと。

瞑想は、するなら朝か夜。


でも、生命は、叡知を伝えたいから、
どうしても「今!伝えたいジャストの声」
があるのですね。


改めて、私は生命が持つ自然な叡知に驚き、手を合わせました。


何故なら、起きてから
ずっと続いてた痛みが、

目をとじて、
内側に目を向けたら、ほんの数分で、


ぴたりと痛みが止まったから。



私たちのいのちと体は偉大ですね。


一生懸命、語りかけてくれている。


いのちの勘、
とても地母神的な、原始的な勘。


無言でからだは、語りかけて
実は、導いていてくれました。


目をとじて、内なるものに
ふれた方がいい時は、

自然に目を閉じるよう、頭痛が知らせてくれる。


無鉄砲に走っている時は、
例えば、足首が痛んだりして
止まってみた方がいいと、知らせてくれるし、


エネルギーチャージが必要な時は、
眠くて眠くて仕方なくなり、
黙っていても寝てしまう。


いのちは、たった今、必要な事を知っているんですね。


からだの症状は、メッセージ。
でもそれは、スペシャルな特別な時にだけ届いてくるメッセージではなく、


日常に、生命の奥から
当たり前に備わっている原始的な
生命の勘としてのメッセージだと 

暮らしの中で気づける聡明さがあれば、


症状に出さずに、
私はわたしともっと仲良くなれるかな、


もっと光を知るのだなと、
理解した経験でした。


私たちには、もともと
美しい叡知があるんですよね。