脱走隊員の話 | I LOVE 陸上自衛隊

脱走隊員の話

これについて質問が多いから、私の経験談で載せてみます。過去自衛隊駐屯地から脱走する隊員は、数多くいれど成功したのは、毛利元貞と言う元傭兵の方(ちなみにこの方は、フランス外人部隊も脱走しています)のみ。脱走したのは山口の17普通科連隊で、17連隊は「銃の乱射事件」で覚えている人もいるんじゃないでしょうか?


さて私が3尉として最初に勤務したした久留米駐屯地で、1人の隊員(1士)が脱走しましたが、これが結構大変と言うか「警察沙汰」にしたら世間の笑いものですから、自衛隊内部で探しに行きます。探しに行くのは脱走隊員の班長と副班長の2名。後は駐屯地の警務隊がいそうな場所をピックアップして、班長等に連絡をマメに入れたりします。今でこそ携帯電話があるからいいものの、普及してない頃は班長が、警務隊や調査隊に「公衆電話で問い合わせ」をするのですから、結構大変ですよ。


脱走の理由は色々あり、人間関係や訓練のしんどさ、後は九州(西部方面隊)は北海道や東北出身の隊員が結構多くて、ホームシックになる事も。脱走隊員の人間関係等を調べたり、脱走隊員の嗜好などを調べておき、どこに現れるか見つかるまで永遠に探します。自衛隊の操作網は素晴らしいと言うか、過去1名しか脱走を成功させなかっただけあって、とにかく3ヶ月以内にはほぼ確実と言っていいほど身柄を確保します。身柄を確保したら、脱走した理由を隅々まで聞いた後「今後性根を入れ替えてやり直すか?除隊するか?」の選択を迫ります。


私の時の脱走隊員は、頭をお坊さんみたいに丸めて詫びを入れて一からやり直し、現在は心を入れ替えて3曹になったそうですが「脱走隊員のレッテルが貼られる中での訓練や勤務はツラかった。だからこそ二度とこのような過ちを犯してはならないと思った」と、その見つけ出した班長から人伝に聞きました。脱走の理由はホームシック。脱走隊員は秋田の出身で慣れない九州の生活でホームシックになって、秋田の実家に帰ってたらしいのです。結局、この隊員のように元に戻るのはごく稀で、ほとんどが除隊してしまいます。


なお除隊すると「懲戒免職」の上に、1士以上だと「予備自衛官」になる事もできない上、脱走から発見するまでの間の「2名の班長の交通費や飲食代・宿泊費」などを全て弁償させられるのです。まぁ、中には「交通費は高いもの(飛行機等)を使って、飲食費もいいもの食べて、宿泊はビジネスホテル(探しに行く班長の泊まる場所は、大抵がサウナです)」と言う意地の悪くて小賢しい班長もいます。「脱走者が全て弁償するのだから、これ位は当然だろう?」と開き直る班長もいますよ。


自衛隊の操作網が広いのは「地連」の存在も、大きな意味合いがあります。日本の主要な都市や街には「地連出張所」があり、脱走先の駐屯地警務隊からFAXで、日本中の地連と地連出張所に「お尋ね書き」が出回っていますから、地連出張所は「このお尋ね者の脱走隊員を見つけたら、すぐ連絡して欲しい」と、サウナやカプセルホテル・ゲーセン・満喫・本屋などにコピーをばら撒くので「意外と上手く脱走できた」と思っても、あっけなく見つかってしまうのはそこなんです。


まぁ、私としては「脱走する勇気があるなら、その勇気をなぜ日頃の訓練等に生かさないのかな?」と思っちゃいます。