徒然草 第百七十段

 

 さしたる用事もないのに人の家を訪ねるのは、良くないことです。用事があって訪ねたとしても、用事が終わればすぐに帰った方が良いですね。長居するのは、すごく良くないことです。

 

 人といると、言葉数が多くなり、身もくたびれ、心も落ち着かなくなります。そのため、万障を繰り合わせ時間を過ごしたとしても、お互いにとって何の利益も生みません。面倒くさそうに話をするのも良くない事なのです。気に入らない相手には、気に入らない理由を言ってしまえばよいのです。

 

 しかし、気の合う人が暇そうにしている時、「もう少し、今日はのんびりしときましょうか。」と言ってくれるのは、この限りではありません。

 

 「阮籍の青い目」の話は、誰にでもあることなのです。特別な用件もなく、のんびりと喋って帰っていくのは、本当に良い事です。

 

 また手紙も「長い間、ご無沙汰しています。」などと書いて寄越してくるのは、とてもうれしい事です

 

 

 突如出てきた「阮籍の青い目」ですが、このままだと何のことやらわかりません。説明させてもらいます。

 

 阮籍さんは中国三国時代の思想家で、竹林の七賢の指導者的人物です。

 

 偽善と詐術(人をだます)が横行する世間を嫌い、距離を置くため大酒を飲み清談を行い、礼教(儒教)を無視した行動をした人と言われています。

 

 

「お父さんの時代の学生の雰囲気ね。お父さんは飲んで騒ぐだけだったみたいだけど。」

 

 

 礼法を重視した儒家のような気に入らない人物には白眼で対し、気に入った人物には青眼で対したと言われています。この事から”白眼視”と言う言葉が生まれました。

 

 兼好さん、行くのはいいけど、来るのはダメというのはどういう事でしょうか。自分から出向くのは面倒くさいが、人とはコミュニケーションを取りたいため自分の気に入った人は来てくれないかなと思っているのでしょうか。

 

 兼好さんも阮籍さんも、ある意味自分に正直に生きてきたのでしょう。個人的には、私は人の家に行くのも来られるのも、それほど好きだはないのです。理由は簡単で、その人に合わせて話をすることができないことを自覚しているためです。人に合わせるほどの引き出しはありません。

 

 

「そうね。自分に合わせてもらうと相手も可哀そうだものね。」

 

 

 阮籍さんですが、司馬昭さんが息子のために阮籍さんの娘を嫁にもらおうと使者を送ると、それを察したのか、60日間酔っぱらい続け、使者は用件を言い出せなかったという事です。阮籍さんは酒に逃げたのですかね。私にはできません。

 

 

「娘さんを手放したくなかったのかもしれないけど、60日間、飲み続けとはね。」

 

 

 

 朝の散歩

 

 himemomo-nさんが合唱コンクールの手伝いで、6時に家を出るというので、私の生活リズムが少し変わりました。

 

 私は、5時少し前に散歩に出かけました。

 

 

5時過ぎです。夜が明けようとしています。
 
 

太陽がでました。
 
 
 この時間の散歩であれば、涼しいとまではいかないにせよ快適に散歩はできます。山国川を吹く風が気持ち良いのです。それを実感したのが、川を離れ自分の家の前に来た時です。6時近くになっていたのですが、アスファルトからの熱気が少しですが伝わってきました。
 
 
 
「自然はすごいのね。」
  - モモの一言 - 
 
 
「あなたのカッコもすごいじゃなくて、かわいいね。」 父