徒然草 第百五十一段
ある人が言うには、50歳になるまでに上達しなかった芸事はやめてしまうべきだとの事です。それ以上の年齢になって励んだとしても、見込みはありません。
老人のやる事なので人も笑いはしないのでしょうが、多くの人と交わるのも情けなくて見苦しく見える物です。だいたいにして、仕事は全てやめ悠々と過ごすのが体裁が良いし、そうありたいものです。
世俗の事に関わり一生を過ごすのは、愚かな人のすることです。知りたいと思うことは学んで尋ねるとしても、その要旨がわかったなら、疑問点がわかった程度でやめておくのが丁度良いのです。
最初から何も知りたいと思わないで済むのなら、それが一番なのです。
「年をとったら何もしないのが良いのかな。」
「芸…修練によって得た技術」
ここで一つの疑問がおきました。この”芸”はその人の生業のための”芸”なのでしょうか。もしそうだとしたら兼好さんのいう事は、もっともだと思います。
が
この生き方は現代とは真逆の生き方かもしれません。”本音で生きる”という事が、その人の芸事だと思えば、歳をとり疑問があれば、ほどほどわかればよしとして、疑問さえ持たない方がいいというのはいかがなものでしょう。
「お父さん、自分が何を言いたいか、わからなくなってるのじゃないですか。」
”本音で生きる”という事は、若い間はそういう才能がないと思われる人でも、ある時その才能に目覚めるかもしれません。
「無理やり結論付けたようね。」
そうは言うものの、50歳まで修練を積んで無理であれば、やめた方がいいというのは本音の部分ではあります。趣味に切り替えるか、何事もなかったかのようにやめてしまうのがベストだとも思うのです。
「今日のお父さんのブログ、ボロボロだわ。今日もか。」
「今日は、第五十一段の現代語訳だけ読んで下さい。」
- ヒメの一言 -