新しい展開へ?

 

 下段に入ってから兼好さんの気合が入ったのか、書かれている文が長くなっています。今回も少し長めです。どこかで息切れするかもしてません。新しい展開と思っていたのですが、葵祭を引きずっていました。

 

 

 「祭が終わったので、葵の葉はもう必要ありません。」と言って、ある人が御簾にかかっていた葵の葉を全部取らせました。風情がないと思ったのですが、立派な人が言った事なので、そういうものかと思いました。

 

 しかし、周防内侍が、

かくれどもかひなき物はもろともに

みす葵も枯葉なりけり

 (祭が終わり、枯れた葵の葉を御簾に掛けておいても、共に眺める相手と別れてしまった今では見ることができず意味がないのです。)

 

と詠んだ和歌も、母屋の御簾に掛けてあった葵の枯葉を詠んだものだと周防内侍の歌集の書いていました。

 

 古い和歌の詞書にも「枯れた葵に結んで渡した」とあります。枕草子にも「過去が恋しくなる物は、枯れた葵」と書いているのは大変共感でき好きです。

 

 鴨長明の「四季物語」にも「美しい簾に、祭の後の葵の葉が残っている」と書いています。

 

 自然と枯れてしまうのも名残惜しいものなのに、そんなに急いで捨て去ってもいいものなのでしょうか。

 

 御帳台のくす玉も、5月5日に掛けられてから9月9日に菊の花に掛け変えられるのです。5月のくす玉に使われる菖蒲は9月の菊の時まで飾られ続けるのです。

 

 枇杷皇太后がお隠れになった後、古い御帳台の内側に枯れた勝負やくす玉があるのを見て、「季節外れの菖蒲の根をまだかけているのですね」と辯の乳母が詠んだ和歌の返歌に「菖蒲の草はまだ盛りの時期です」と侍従が詠んだのです。

 

 

 10月31日に行われる「ハロウィン」に向けて1カ月以上も前から、色々なグッズを売ろうとしているショップをよく見ます。

 

 ところが、11月1日になると「ハロウィン」の跡形もなく、「クリスマス」のグッズが飾られています。

 

 葵の葉が御簾からなくなるどころの話ではありません。この切り替えの速さは見事としか言いようがありません。

 

 この切り替えの早さを見たとしたら、兼好さんは何というのでしょう。

 

 そのスピード感について行けそうにない私でした。(笑)

 

 

 モモの寝姿?

 

「モモ寝てますね。」 父

 

 

「目が開きました。」 父

 

 

「また寝の体勢になりました。」 父

 

 

「体が緩み始めました。」 父

 

 

「ヒメもそうですが、父の寝姿に似てきたようです。」 himemomo-n

 

 

 

「一緒に住むものと似てくるものなの?」

  - 父の一言 -