ままこ立て

 

 数学パズルの一種です。考案者は不明で、中国の文献には似たような遊技は見られないということです。「簾中抄」に「ままこたて」の名で見えていますが、解答を記しているだけです。

 

 ※「簾中抄」 平安時代 院政期 末の歌人 藤原資隆が八条院暲子内親王のために著した故実書です。

 

 

「『簾中抄』は故実書なのね。兼好さん、有職故実が好きだからね。」

 

 

 一般的には吉田光由「塵劫記」(1627年)に載っている説話から広く知られるようになりました。

 

 「ある家には、先妻の子と継母の子が、それぞれ15人ずつ、計30人いました。跡取りを決めるため、継母が一計を案じたのです。子供たちを交互に並べ、継母の子から右回りに数え、10番目に当たった子供を除いていくと、先妻の子ばかりが除かれていきました。最後の1人になった先妻の子が「ここからは、私から左回りに数えてください」と抗議すると、今度は継母の子ばかりが除かれ、抗議したその子だけが残り、めでたく跡取りとなりました。」

 

 

「私にはよくわからんです。」

 

 

 

 ようやく最後です

 

 今まで死を逃れてきたのは奇跡的な事なのです。わずかな時間でも、この世が永遠に続くようだと思っても良いのでしょうか。

 

 ままこ立てを双六で使う石で環を作って並べると最初はどの石が取られるかはわかりません。しかし、数を決めて、あれもこれもと取り去っていくと、結局はどの石も取られることから逃げられません。死を逃れることができないのと似ています。

 

 兵が戦に出るとき、死が知かことを知ると、家のことや自分のことを忘れてしまうのです。

 

 俗世から離れた草庵で、のんびりと自然とたわむれ、死期がやって来ることは自分には関係ない、などと思うのは浅はかな考えなのです。

 

 閑静な山奥に死という敵はやってこないのでしょうか。そんなことはないのです。草庵で死に臨むことは、兵が敵地に出るのと同じ事なのです。

 

 

 ようやく百三十七段が終了しました。兼好さん、結局何が言いたかったのでしょうか。これからじっくりと考えます。

 

 

「本当にこれからじっくり考えるの? 少し怪しいわね。」

 

 

 「ままこ立て」については、「簾中抄」から持ってきたものではないかと思われます。有職故実好きの兼好さんですから、そうではないかと思った私の考えです。「塵劫記」の吉田光由さんは「簾中抄」や「徒然草」を読んで参考にしたのかもしれません。

 

 

「終わるまでずいぶんと時間がかかったわね。」

 

 

 

 

 

 昨日の散歩のときの空です。梅雨間近という空模様です。しかし、今日は雨は降らず暑い1日でした。

 

 

 

「今年は梅雨入りが遅いわね。」

  - モモの一言 -