徒然草 第百三十七段 その3

 

 月や花は目だけで見るものでしょうか。春は家から出なくても、月夜に布団の中で心の中で花と月を想像するのも風情豊かなものです。

 

 教養のある立派な人は、風流好きには見えないものです。楽しむ姿も淡白なものです。

 

 片田舎から上京してきたような人は、何でもしつこいほどにもて囃そうとするのです。

 

 桜の木の下に、身をねじるように寄りかかり、脇目もふらずじっと見て、酒を飲み、連歌して、挙句の果ては大きな枝を心なく折ってしまうのです。

 

 湧き出る泉には手足を浸し、新雪には足跡を付けたりするなど、遠くから眺めて楽しむということをしないのです。

 

 

「お父さんなんか、雪が降ると1番に足跡つけるでしょ。」

 

 

 そのような人が祭を見物する姿は、まことに異様でした。「行列が来るのが遅いから、見物席にいても無駄だ。」と言って、奥で酒を飲み、物を食べ、囲碁や双六をして楽しんで、見物席には見張りを置いていました。見張りが「行列が来ました。」と言うと、あわてて先を争い見物席に走り上がりました。

 

 転げ落ちそうになるまで簾を押し広げ、押し合いへし合いをしました。一瞬でも見逃すまいと凝視して「ああだこうだ」と言い、行列が通り過ぎると「また次の行列が来るまで。」と言って下りてしまいました。彼らは単に行列を見に来ただけだったのです。

 

 都の人で立派な人物ならば、居眠りをしたりして、しっかりとは見ていないものです。若い末席の者は仕事として立ち居振る舞いし、身分の高い人の後ろにひかえている人はみっともなく前の人にのしかかったり、無理やり行列を見ようとすることもないのです。

 

 

「立派な人でなくても、きちんとできる人はいるわ。」

 

 

 今年の3月に「撮り鉄」とみられる男が鳥取県内の駅で特急「やくも」の先頭車両に飛び移ったような画像がXで出回り炎上したと言います。

 

 

「写真見たけど、あれはダメね。」

 

 

 近年、鉄道の写真を撮ることを趣味とする「撮り鉄」の迷惑行為が後を絶たないと言います。デジタル1眼レフが普及し始め撮影方法は一変したと言います。それに加え、SNSの利用者の増加で迷惑行為をする人が目立ってきたと言います。

 

 要は「いいね」をめぐる内輪の競争意識が強くなってきたためだと言います。このような問題は「撮り鉄」に限ったことではないようです。

 

 

「『いいね』欲しさなのかね。なぜ写真撮りたかったを忘れているんじゃない。」

 

 

 「多くの人は社会のルールを守って撮影をしています。たまに暴走する人が出てきます。残念ながら、この状況は変わらないと思います。」と言う人がいます。

 

 

 徒然草 第百三十七段の祭りを見物する人と同じように感じるのです。

 

 「働きアリの法則」(2:6:2の法則)を思い出しました。祭において無理な事をする人やルールを守らない「撮り鉄」はなくならないでしょう。

 

 

 

「それが生きる者の性かもね。」

  - モモの一言 ー