徒然草 百三十七段 その2
あらゆることは、その始めと終わりこそが特に情緒があるものです。
男女の恋愛も、ただ二人で逢い交際を深めることを指すものでしょうか。
逢わずに終わった恋の切なさに胸を焦がし、深く交際をする前に終わった事への憂いを思ってみたり、叶わなかった約束を嘆き、長い夜を独りで明かし、遠くの恋人を眺める雲に思いやる。
昔、逢引きした荒れ果てた家を見て昔を偲ぶということが、恋に浸るということではないでしょうか。
「兼好さん、ひょっとしたらモテなかった?」
澄み切った空に輝く満月が空を照らす景色よりも、明け方近くになってようやく姿を見せた月が、情緒たっぷりに青みを含んで杉の枝にかかって見えたりとか、木の間の月光や、時雨を降らせた雲に隠れた月は趣があります。
「私は満月より、三日月が好き。こんばんは三日月なのよ。」
椎の木が繁ったところや白樫の濡れた葉の上に月が煌めきている様子は心を震わせます。この気持ちを分かってくれる友がいればと都を恋しく思ってしまいます。
あなたはもう忘れたかしら
赤い手ぬぐいマフラーにして
二人で言った横丁の風呂屋
一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸カタカタ鳴った
貴方は私の身体を抱いて
冷たいねって言ったのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった
- 神田川 -
私たちの若かりし頃の曲です。今の人たちは、このような感覚はわからないのではと思います。
私はこのような事に憧れましたが、経験をしたことがありません。(要はモテたことがないということだけなのですが。)
「モテたことがないというのは、何となくわかる。」
考えてみれば、そのような恋愛に憧れるのも、フラれ悲しむことも、恋愛の一つだったのかもしれません。
「恋愛」と言う言葉は、『広辞苑』には、「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」と書いていました。
「辞書に書いてあることは、堅苦しいわね。」