徒然草 第百六段
日常が戻ってきました。という事でブログも徒然草に戻りたいと思います。今日は徒然草の第百六段になります。
「いつもの生活が戻ったのね。」
高野山の証空上人が上洛した時、細い道で馬に乗っている女性とすれ違いました。馬を曳いていた男の人が曳きそこなったせいで上人の馬を堀に落としてしまいました。
上人は逆上して言ったそうです。「この乱暴者め。仏の弟子には四つの階級がある。(四部の弟子) 比丘(びく:僧)より比丘尼(びくに:尼僧)は位が低くい。比丘尼よりも優婆塞(うばそく:男性信者)はさらに低く、優婆塞より優婆夷(うばい:女性信者)はもっと低いのです。そのような優婆夷の分際で比丘を堀に落とすなんて、前代未聞の悪行だ。」と言ったのです。
「宗教の世界にも格差があったのね。」
ところが馬を曳いている男の人が「何を言っているのかわかりません。」と言いました。それを聞き、上人は逆上して「何を言うか。修行もしていない無学な男が。」と声を荒げていったのです。
「馬を曳いている人は、いい仕事をしているわね。」
その後、上人は、とんでもない暴言を吐いたと気づいたようで、馬を曳き返して逃げていきました。
尊かりけるいさかひなるべし。
色々と考えさせられるところはあります。比丘尼はどう頑張っても比丘にはなれないわけです。
比丘より比丘尼は位が低いと言っていることからも、既に女性は男性を超えることができないという事が分かります。
最後に書かれた「尊かりけるいさかひなるべし。」は、どういうことなのでしょうか。直訳すると「尊い口論だったことだろう。」なのですが、これが「尊い口論」だったのでしょうか。とてもそうは思えないのですが。
「ひょっとすると…。 兼好さん分かっていたんじゃない?」
兼好さん、この出来事の中に潜む”おかしさ”に気づいていたんではないんでしょうか。そうであれば「尊い口論」にも意味があるように思えます。今の時代では当たり前の事でしょうが、その当時は”おかしさ”に気づくことだけでもすごいことだったと思います。
差別の解消は、”おかしさ”に気づくことから始まるのです。
次男が小さい頃、友達から「〇〇博士(はかせ)」と呼ばれていたようです。〇〇には名字が入っていたのですが、友人からすれば物知りであったようです。
5月7日は「博士(はくし)の日」です。1888年5月7日、日本で初めて博士号が授与された日にちなんで制定されました。博士号が授与されたのは植物学者の伊藤圭介、数学者の菊池大麓、物理学者の山川健次郎などの25人でした。
「兄ちゃんの”博士”とは違うようね。」
次男の「はかせ」は物をよく知っているためにつけられた愛称ですが、「はくし」ではなかったようです。という事は、今日は次男のための日ではなかったことになります。
「兄ちゃんが物知りだったことには変わりはないわ。」
- ヒメの一言 -