武士道とは 徒然草 第八十段
僧侶は武術に励み、東国の武士は仏法に通じたような顔をして連歌や音楽に勤しんでいる。専門分野をおろそかにして専門外のことばかり熱心だと、バカにされるんじゃないでしょうか。
僧侶にとどまらず貴族たちも武術を好きな人が多いのです。百回戦って百回勝っても、まだまだ武勇を称えられることは無いんです。運良く勝っても勇者と言われるのです。降伏することなく死んでいった後に初めて武勇を表せるのです。
つまり、生きている間は武術を誇ってはいけないのです。武術なんてものは人の倫理から遠く獣に近い振舞なんです。武術の道を専門としない人が励んでも無意味なんです。
兼好さんの生きた時代は御醍醐天皇が自ら武力を率いて政権をとろうとした時なのです。兼好さん、そんな時代が嫌だったのでしょうね。しかし、この段だけ切り取って読むと武道家は怒るでしょう。
「お父さんも『えっ!』と思ったんでしょ。」
1984年から2007年まで発行された5千円札は新渡戸稲造さんの肖像画です。「女子教育に尽力した」とか「日本の近代化に尽力した」という理由で採用されたという事のようです。(それだけじゃないとは思いますが。)
「それ以外の功績があるの?」
ところが、この新渡戸稲造さんは「武士道」という本を出版しているのです。日本人にはキリスト教という信仰は持たないけれど、強い道徳思想と倫理観を備えている。その道徳根本には武士道があると本の中では言っています。
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。『武士道』
「”武士道”ですか。」
新渡戸稲造さんは、武術をここまで昇華したようです。現在の刀剣も同じです。殺すための道具が美術品へと変わっていったのです。
兼好さん、武術がこのように変わっていくとは想像もしなかったのでしょう。
「これ、本当に『猫との生活』のブログなの?」
- モモの一言 -