新年「おめでとう」と言えないような、痛ましくつらい事件が元旦、2日と続き、今も能登半島の町々では、避難所も含めて、人々は、不便で決して安全とは言えない生活を強いられている。毎日のように行方不明者の捜索が行われているが、続く風雪や余震のために、なかなか思うように進まないようだ。私の姪夫婦は、数年前に埼玉県から石川県の七尾市に移住していた。姪は、早くにガンで亡くなった妹の娘で、その時以来、私が姪と甥の母親代わりだったので、今年も、姪夫婦がこちらへ戻ってきて、我が家で元旦の「祝いの膳」を囲んでいる最中に、突然能登大地震の一報が届いたのだ。姪夫婦は、知人らと連絡を取り合い、結局1日おいた3日の朝、七尾へ帰った。飲料水を大量に買い込み車に積んで通れる道を慎重に選びながら、3日の夜自宅に帰りついた。家の中は散乱していたが、家そのものは、「少し傾いているだけで」何とか住めること、電気・ガスも通っていて、唯一断水だけがまだ長く続きそうだという。

 

胸を打った羽生さんの全身全霊の姿

 そんな中、テレビは、能登地方の震災状況をリアルタイムで伝えるとともに、お正月らしいバラエティー番組も多く組まれていたが、なかなかそれらを、心から楽しむこともできずにいた。それでも、楽しみにしていた7日の羽生さんの「RE_PRAY」ドキュメントは見た。  そして、見る人を喜ばせ楽しませ、自分の伝えたい想いを届けたいという強い意志と情熱で、文字通り全身全霊を傾けてRE_PRAYというアイスストーリーを創り上げていく羽生さんの姿に胸を打たれた。

 とりわけ、Ⅱ部の最後「破滅への死者」を滑り終えた羽生さんが舞台裏へ倒れこむ姿がテレビに映しだされた場面は壮絶だった。羽生さんは、息も切れ切れで苦しそうだった。羽生さんは、まるでマラソンのようだったと、自ら話していたが、確かに先日見た箱根駅伝の走者も倒れこむようにゴールインし、その後意識を失って運ばれていく選手もいた。羽生さんによれば、あれは酸欠状態なのだという。羽生さん自身、頭がパンパンになるくらい色々考えながら滑っていると、「脳に酸素がいき、身体ー筋肉に酸素が少なくなってしまう、だから頭を使わなくても体が動くようになるくらい練習している」という。こういうことをサラリという彼の論理性と、納得したことはできるまでやるという、強靭なメンタルに驚かされた。アスリートは、皆こんなことを考えているのでしょうか。私は、こういうことを考えたこともなかったので、なんだか、とても驚いた。

 

「アイス・ストーリー」という芸術作品

 「RE_PRAY」という作品は、多くのスケーターが、個々に自らのプログラムを披露するという従来のアイスショーとは異なる。出演者が羽生さん一人であることとともに、ショー全体を通して、羽生さん自身が見る人々に伝えたい想いなり一つのテーマがある。そのテーマなり伝えたい想いというものは、「一糸乱れぬ秩序だった論理」というものではなく(少なくとも私はそう思う)、羽生さんが自ら生きてきた中で感じた様々な思いの集合体のようなもので、見る側が、羽生さんが届けてくれる様々な想いの中から、何か一つでも二つでも胸に掬い取って、共感したり励みにしたり喜びにしてくれればいい・・・・と考えているようだ。そう、彼が言うように、珠玉の「短編小説」を読むように。

 個人的に私が強く受け取ったのは、人間が他の「いのち」を奪い・喰らい生きている、ある意味罪深い生き物であるということ、

ゲームの中では、人はひたすら勝つために何度でも死になんどでも生き返りやり直し、次第に強くなって敵を打ちのめすまで突き進む。が、人は選択を繰り返しながら一度だけの人生を生きていく、選択を誤ることもあるが、それでも人間は出口を探してまた進もうとする、というようなことを強く感じたし、私なりに受け取った。感じ方は、ひとそれぞれでいいんだよ、と羽生さんは言う。

 

アイディアと独創性の泉ー羽生さんの聡明さとオリジナリティ

 羽生さんは、全体として短編小説のような「ストーリー」を演じながら、個々の楽曲や見せ方にも様々なアイディアや意図を盛り込んでいることが、分かった。

 例えば「とりへび」は、フィギュアスケートの従来のリンクの使い方とは違う、「まっすぐ滑る」ことに挑戦している。これは、練習中に「まっすぐだとスピードがでないの?」というMIKIKO先生の言葉に、羽生さんが「じゃあやります」と言って真っすぐ直線上を滑り始めたことがきっかけだ。普通「まっすぐではスピードが出ないの?」と聞かれたら「まっすぐだと出ないんですよ」と答えて終わりだろう。ところが羽生さんは、MIKIKO先生が単に疑問を口にした訳ではなく、「まっすぐ滑って欲しい」「まっすぐ滑る方がいいと思う」というMIKIKO先生の想いを即座に察し、「じゃあやります」と答えたのだろう。察しがいい。野村萬斎さんがおっしゃっていた「一言えば十響く」タイプなのだ。演出者の意図を即座に察し、「できない」「やってみます」とかいう返事ではなく「じゃあやります」と応じる、勘の良さと、それを実行することに躊躇ない勇気や決断力・・・凄いなと思った。MIKIKO先生が「覚えるのが早い」というのは、振り付けを覚えるのが早いという意味だろうが、様々な点で呑み込みが早いという意味でもあろう。これは、演出者にとっては、とてもやりやすいだろうし、色々なことを試したり冒険させたりしたくなるだろうとも思った。

 また「megarovania」では、スピンだけでプログラムを構成する、ゲーム中の音楽がない部分を意識して、無音でエッジの音(削る音、敲く音もありましたよね)を響かせて聞かせたい、人が瞬間移動する様子を表現したいということで、会場の各所に設置した大小のスクリーンに次・次に羽生さんの姿が写り移動するという手法も使われていた。羽生さんのアイディアは、MIKIKO先生や他のスタッフの方の知恵や力を借りて、次々に形になっていったのだなということが分かった。

 また「破滅への死者」では、応援する気持ち、ドキドキとする緊張感を感じてもらいたくて、「試合」を再現しようと六分間練習まで取り入れ、試合さながらの四回転ジャンプやコンビネーションジャンプを数多く取り入れた高難度の構成で滑りきってみせてくれた。(でも、その結果が、あの幕裏へ倒れこむ状態になってしまったのですよね。羽生さん、もう少し構成を下げるか、一番最初にやるとかしてもらえないでしょうか。毎回、あんなに苦しそうな羽生さんを見るのはちょっと辛いものがありますから)

 

自分のアイス・ストーリーを見たい、届けたいと思ってくださる方々のために

 でも、どんなにつらくても続けよう、頑張ろう、と思えるのは「自分のアイスストーリーを見たいと思い、期待して下さる人たち」と「自分のアイスストーリーを届けたいと思ってくださる方々」がいるからだと、羽生さんは言った。ファンを中心とする観客のためにだけではなく、彼のアイス・ストーリーを届けたいと羽生さんの側に立って協力してくださるMIKIKO先生はじめスタッフの方たちのためにもがんばりたいというのだ。本当に強い責任感と使命感だ。普通のメンタルでは、潰れてしまいかねない重さだ。羽生さんのすばらしさは、そうした、重いだろう責任感・使命感から逃げることなく、積極的に果たそうとすることで、自分も成長したり、達成感を得たりすることができると、さらりと言ってのけることだ。こういう姿を見せられると、見る私たちの側も生きることにもっと頑張ろうと思える。そして自然に羽生さんへのリスペクトと感謝の気持ちが湧いてくるのだ。

 

心を癒し静謐な気持ちにさせてくれるものー「天と地のリクイエム」「あの夏へ」

 もう一つ、後半の「天と地のリクイエム」「あの夏へ」は、能登半島地震や羽田での飛行機衝突事故で亡くなった方々、ガザ地区でイスラエルから攻撃を受け親兄弟姉妹や子を亡くした人々の深い悲しみ・慟哭が思い起こされ涙が止まらなかった。地球上には、なぜ今もこんなにも悲嘆や苦しみが絶えないのか・・・この二つのプログラムには、人間の悲しみ・苦しみを癒し心を鎮める優しい清浄さがあった。目の前で、愛する家族たちが亡くなるのを見ることは耐え難い苦しみだろう。そうした人々の苦悩を想像しながら、涙を流しながら見た、羽生さんのこの二つのプログラムは、一生忘れられない特別なものとなった。

 

【追記】

 RE_PRAY横浜公演、当たることを祈っています。最初の埼玉公演を見に行けたので、横浜は無理かもしれませんが、この舞台裏ドキュメントを見た後ならば、感慨もひとしおだろうなと思います。まずは、佐賀公演のライブビューを楽しみにします!