前回ブログを書いてから一か月近くの時間が過ぎた。Eテレの堂本光一さんとのスィッチインタビューは、すべて見てから少し感想をまとめようなどと思いながら、すべて見終わった今もまだ、日々の生活に追われ、結局書いていない。この間(かん)は特に、毎日、こまめにパソコンを開いたり、スマホを開いたりする時間が、取れなかった。理由は多々あるが、一番の理由は、二人のごく親しい友人・知人が10月に入って相次いで亡くなり、かなりショックを受けたことがある。しかも、二人について、追悼文を書くよう依頼があった。追悼文を書くということは、なかなか辛く苦しい作業だ。書きながら筆が止まり、思い出に浸り哀しい気持ちが増幅される・・

 

 でも、このような個人的な話はここまでにしておこう。

 

   機長羽生結弦の人生の旅路

 

 この間、とくに印象に残ったことを少し書いておきたい。それは、ANAさんが企画した「機長 羽生結弦の旅路」という企画のことだ。羽生機長とともに、オンラインで旅をするというこの企画は、募集人数が少なく、当初から狭き門だと言われていた。私も応募したが、予想にたがわず見事に抽選にはずれた。でもその後、当日のオンライン動画を二週間の間ならば、何回でも見られるチケットが販売されたので、早速そのチケットを購入し、空いている時間に、何回も見た。羽生さんの声で語られる機長の搭乗案内は、かつて味わった、国際線の飛行機に乗るときのワクワク感を一挙に高めた。

 羽生さんは、ある時は室内のソファーに座って、ある時は、大きなスクリーン一杯に映しだされた地球の映像の前に佇んで、かつて行ったことのある国や都市の思い出、飛行機内での過ごし方など具体的な話や、「世界とはどういうものか」「自分自身をどうやっていたわるのか」「(羽生さんの)幸福観」「大切にしてる言葉」など、彼の人生観や思想的な核心に触れるような話を次々と、語り続けた。羽生さんの心の中からあふれ出てくる思索的で豊かな言葉は、じっくりと「羽生結弦」を感じられ充実した良い時間だった

 

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第一の旅路は「ピョンチャンまで」

有料動画なので、中身をすべて話すことはできないが、一部ならば許されるだろう。

 羽生さんの語りの中で、私が一番意外で私たちファンと少し違うのではないかと思ったのは、彼が「僕の第一の人生の旅はピョンチャンまでだった」と言ったことだ。私は「えっ?北京じゃないの」と思った。少なくとも私は、競技者として闘い挑戦し続けた北京オリンピックまでは、一続きの旅路だと思っていた。「競技者・羽生結弦」から「プロアスリート羽生結弦」への転換が、羽生さんの人生の大きな画期だと考えていたのだ。

 でも羽生さんは違う。

「オリンピック2連覇が第一の旅のゴール。目的地があり、その目的地に到着するまでのルート・経由地も、予めある程度決まっていた。その決められたルートを、自分で飛行していたというより、多くの方たちに支えられながら飛行して目的地にたどり着いた」という。恐らく、そのような意味で、「第一の旅路はピョンチャンまで」と言ったのだろう。では、北京までの時間は、なんだったのか?

「北京までは旅だとは思わない。次の旅への準備期間だった」という。「次の旅の目的地は、まだ分からない。分からないが、燃料をつぎ足しながら、自分が機長であり管制塔でもある状態で飛んでいる。だから燃料切れを起こしやすい」とも言う。

 そうか。私たちは「北京までを羽生結弦の第一の旅路」だと考えていたが、羽生さんにとって、旅路の終わりは、明確な目的地への到達を意味していたのだ。だから「ピョンチャンまで」なのだ。北京までは、確かに「4A」が一つの具体的な目標ではあったが、五輪二連覇の後の、人生の第二の旅路の目的地という意味では、明確に定まってはいなかったということなのだろう。ピョンチャン後の羽生さんは、そんな人生的な意味での目的地を探し求めて、ある意味迷いながら飛行していたのだ。当時の私には、そこまで彼を理解できていなかった。羽生さんにとって、ピョンチャンから北京までの四年間は、理不尽な採点、コロナ禍のもとでの一人ぽっちの練習といった苦境の中で、「4A」を唯一の動機に、迷いながら手探り状態で歩んでいたんだ。そして、そのことが、彼の孤独や闇の中で彷徨っているような苦悩の背景だったのだと、何か改めて胸に落ちて分かった気がした。

 

自分を燃やす燃料は皆さんの演技への反応

 北京までの4年間、私たちは、理不尽な採点に怒りつつも、羽生さんにたくさんの「愛」と「応援」を送ったつもりでいたが、真の意味で(人生的な意味で)、あの頃の羽生さんを理解していたわけではないのだとも思った。

 でも、最後に「羽生さんにとって飛行する燃料とはなにか?」と問われ、「自分の演技について見せてくれる皆さんの感情や表情(に表れる心の動きや感想・反応といったものか)」と答えてくれた。これは、フィギュアスケーターとしての彼の本音なのだと思う。自分のスケートを見てもらい、心動かす何かを感じて欲しいというのが、羽生さんがよく言う「彼自身がスケートをする意味」だからだ。

 私たちの応援や感想を届けることは、少なくとも羽生さんを飛行させる、燃料の一部になっていることは確かなようだ。もちろん、人生的な意味での、第二の旅路の目的地は、羽生さんにもまだ明確になっていないのかもしれないが、彼は、その未知なる第二の着地点を模索し挑戦を続けるつもりなのだ。

 そして、おそらくはその挑戦の一つが、今週末のアイス・ストーリー「RE_PRAY」だろう。初日、私は、ここに書いたことを思い起こしながら、羽生さんが、第二の人生の旅路を、着地点を探し求めながら歩む姿を目に焼き付けてこよう!何より、久々に彼のスケートが見られると思うと、楽しみでならない。

 

 羽生さんが、心身ともに充実した状態で初日を迎えられように、祈っています。

 

【追記】

 今月初め、鎌倉宮で薪能が行われ、夫婦そろって野村萬斎さんの狂言を見る機会に恵まれた。薪がパチパチはぜる音がかすかに聞こえ、鎌倉の小高い山の緑が、まるでスクリーンの背景のように浮かびあがる舞台そのものがドラマチックだ。萬斎さんは「六地蔵」という狂言を演じられたが、萬斎さんらしいちょっとおどけたようなセリフ回しが魅力的でコミカルで、とても面白い内容だった。能の方には、息子さんも出られていた。

 

 上の写真には空席が目立つが、始まる少し前から一切の撮影禁止だったので、かなり早めに席に着いた私が撮ったものだからだ。始まる直前には、もちろん満席になっていた。